歌姫凱旋






「モーニング娘。新生歌手選抜歌実験」

大きな墨の字で書いた横断幕が吊り下げられている。遊女屋の大広間にある遣手婆の座るちゃぶ台や遊女の似顔絵表など邪魔なものは全て片付けられた。今やここは女を売り買いする場所ではなく、宮本佳林をモーニング娘。にするための審査会場に変わっていた。

会場には本格的な審査員席が並べられていて、審査員の中央の壇上に道重さゆみが立った。佳林も間近でさゆみの姿を見るのは初めてだった。黒光りする長い髪は美しい黒髪を持つ里保のそれとはまた違う。髪から顔からまるで女王のような常人離れして近づきがたいオーラを放つ。光る目尻はどこか遠い国の人を思わせた。佳林は緊張も相まってさゆみの美しさを見ているだけで頭がくらくらした。自分もこのモーニング娘。の一員にこれからなるのだ。

「今日はここでモーニング娘。の新メンバーを発表したいと思います。でもその前に新しいメンバーに歌っていただきたいと思います」

道重さゆみが壇上に立って高らかにそう宣言した。盛大な拍手が鳴る。まるで全てがすでに決まっているかのような言い方だ。さゆみは里保のいる方を向いて笑った。まるで自分に全て任せなさいと言っているみたいだ。道重さゆみはモーニング娘。でも絶対的な存在だ。そのさゆみからこれだけ厚い信任を受けている鞘師里保もまたモーニング娘。の権力者に違いなかった。

「私、大丈夫かな」

佳林が歌ってきたのは和歌や短歌ばかりで里保達が歌っているような歌謡曲の経験は佳林にはない。

「道重さんにも審査委員にも全て話は通してあるから。佳林ちゃんはいつもどおりに歌ってくれれば大丈夫」

里保は自信ありげに笑う。

「佳林ちゃん」

忙しく会場作りをしていた由加が、暇を見て佳林の傍に来て言った。由加はさゆみの命令で歌実験のために遊女屋の使用人を取り仕切っていた。

「まさかこんなことになるとは思わなかったけど。でもこれで佳林ちゃんが救われるならあたしはそれでいいと思う」

由加は笑顔でそう言ってくれた。

自分はモーニング娘。になる。でも借金を返して真の自由になるのはそれからの話だ。そう考えたら出発点のまだまだ手前だ。

佳林は自ら進んで前に出た。壇上横の審査員席には道重さゆみと、モーニング娘。の運営会社の重役らしき審査員が何人か並んでいる。視線が一気に集まってくるのを感じた。それは幼い頃から佳林が感じてきたぎらつくようなな世間の目に似ていた。生まれながらにして宮本家というやんごとなき貴族の家に生まれ、そこで類まれなる美少女として注目を集めてきた。今は、その高貴な貴族が遊女に落とされ平民からも辱められ、虐げられているという噂を流されている。でも自分は、生まれた時から今の瞬間まで、何も変わってはいない。変わったのは世間の見方や嫉妬や人の不幸を喜ぶ好奇心だけだ。佳林は里保から教えられた通り、何遍かの口語短歌を組み合わせて歌った。佳林の置かれたはかない遊女のもの悲しさをか細い繊細な音に乗せていく。そして元貴族であった高貴で美しい声を体現していく。

そうかと思えば急に佳林は曲調を変えた。失恋の歌を女郎のように色っぽくじらすように歌う。佳林の歌はまるで宮殿で花魁が歌を披露しているようなタブーをおかしていように見えた。誰も何も言えない。佳林に向けられた好奇な視線が、今度は張り付くような視線に変わる。誰も自分を止められないのだと佳林は思った。佳林にはこの遊女屋の大広間が自分のための舞台になったように感じた。ここにいる人たちの全ての視線が自分に注がれている。佳林が今まで感じたことのない快感だった。

−お姫様は一人ぼっち。

そのとき、佳林の歌声に呼応するように上の階から何者かの歌声が響いた。全員ぎょっとして上を向く。佳林一点に向けられていた視線は歌声の主を探そうとあちらこちらに霧散していく。

佳林は平常心を取り戻そうと狂おしい恋の歌を続ける。それでも謎の歌声は佳林の歌におかまいなしに響いてくる。

−孤独なお姫様は罰を与える。

−それは寂しくて仕方ないから。

−だから罰をあたえる。

気味の悪い歌詞にぞっとなる。それでもその旋律は佳林の歌に絶妙なリズムを加えて溶け込んでいく。佳林の短歌に対する返歌のように完璧に佳林の歌に対応し、佳林の歌に対応している。その不気味なハーモニーは調和というより佳林の歌を犯すように侵食してきた。



−風の姫は人を切り

−水の姫は人を沈め

−火の姫は人を燃やし

−土の姫は人を深き底に埋める



上階から降り注ぐように歌われる声に、もはや佳林は歌どころではなくなった。最初は風の音の聞き違いのように聞こえた歌声は次第に野太く、抑揚をつけて人間らしさを増した。もう隠す必要がなくなったからだ。吹き抜けになっている二階の廊下に人の姿が現れた。佳林はもう気づいていた。佳林を邪魔する者はここに一人しか存在しない。そしてこの歌声は何度も聞いたことがあった。

「巫女の姿をまとったあの者こそ新しきモーニング娘。にふさわしい」

審査員の一人が二階の廊下に立つ少女を指差した。

「あれこそ新しきモーニング娘。の救世主となろう」

しわがれた声が大広間に響く。さゆみの横に座っていた審査員達が一斉に立ち上がる。今度は会場にいる全員の視線が廊下に立った一人の少女に注がれた。そして盛大な拍手が鳴り響く。佳林は気がつくと拳をぎゅっと握りしめていた。

「小田さくら」は佳林を見下すように上から見下ろすと、ゆっくりと階段を降りてくる。佳林を一瞥すると佳林の横を通り過ぎてさゆみの前にひざまづいた。

さゆみはあっけにとられて何も言えないみたいだった。

「道重さん、覚えていますか。研修生だった小田さくらです」

さくらはそう言ってにこりと笑う。

「あなたは確か」

さゆみがあごに手をあててさくらを見ている。

「ハロプロ研修生の小田ちゃん?」

「そうです。小田さくらです」

もう一度盛大な拍手が鳴る。

「道重さゆみ様、この者こそ新しきモーニング娘。にふさわしい歌声の持ち主です」

さゆみの横にいる審査員が恭しくそう言った。

もはや会場全体は「小田さくら」を新しいモーニング娘。として認めていた。佳林はたださくらによる簒奪劇を為すすべもなく見守っていた。

「こんなの茶番よ」

里保が前に進み出て大声で叫んだ。

「道重さん、騙されてはいけません。この子は北の国でのモーニング女学院の研修を途中でやめてしまった。まだモーニング娘。になる資格を得ていません」

佳林はそこで初めてさくらが北の国で何をしていたか知った。

「それでも旅をする中で民衆を惹きつける歌の技術を得ました。今の歌がその証明です」

さくらは今度は必死に訴えた。

「ふうむ。そうね」

さゆみは腕組みをして考えている。

「これからももっともっと精進します。だからあたしをモーニング娘。に入れてください」

さくらはさゆみにすがりついてそう言った。

いつの間にか佳林は蚊帳の外に置かれてしまっている。元貴族の佳林にはそうやって人に頼み込むことも到底できないし、遊女に落とされた引け目もあって、積極的に言葉を発することも出来ない。

「うーん。そうだな」

さゆみは腕組みして考えている。

いいよ。さゆみが小田ちゃんをモーニング娘。にしてあげる」

あっけなくさゆみはそう言った。

「そのかわり、モーニング娘。を代表する歌姫になって。りほりほのライバルになれるようにね」

さくらは何も言わず無邪気に笑う。そして今度ははっきりと佳林を見た。やってやったというその笑顔で佳林は自分が敗れ去ったことを知る。

「そんな」

里保がその場に崩れ落ちる。

佳林は悔しいというより、あまりにも強引にさくらが自分の幸運を奪っていったことに諦めの境地だった。さくらは元々、道重さゆみと顔見知りみたいだったし歌手という世界から考えると貴族の佳林には縁遠い世界だった。さくらは自分への復讐をずっと計画してきたみたいだったしそう考えたら自分の邪魔をしてくることは最初からわかりきっていたことだ。それを里保に見初められたからモーニング娘。になれると浮かれきっていた自分が滑稽で仕方ない。今はただ何もかもがさくらの手のひらで転がされてるような出来事としか考えられなかった。

歌実験に敗れてそれで全てが終わりになるわけじゃない。むしろこれは始まりなのかもしれない。どの道、さくらには何らかの勝負で決着をつけないかぎり永久に自分につきまとってくるような予感がする。

歌の勝負ではさくらに負けた。次にさくらとは何で勝負すれば勝てるのだろう。

さくらは審査員やさゆみの前で幼い笑顔を満開にしている。

あの笑顔に隠された強烈な意志を佳林は遊女の立場で受けきらなければならない。佳林には朋子もいない。絶体絶命な状況の中、佳林はただ喜ぶさくらを唖然と見つめることぐらいしか出来なかった。

そして小田さくらがモーニング娘。になる。そのことは、単に自分が機会を逸するだけでなく、さくらによって自分自身が恐ろしく危険な立場に置かれることになることを佳林はまだ理解していなかった。

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