「さくらの軛」1








大広間の古時計が低い音をたてる。佳林は誰もすることのなくなった、花瓶や広間の飾りについた埃をはたいたり、床の拭き掃除ばかりしていた。

歌実験が終わり、店の遊女達はモーニング娘。一行に洗いざらい買われてしまい、にぎやかだった遊女屋から活気が消えた。小田さくらもモーニング娘。になることが決まり店を出て行った。

朋子の消息は依然としてつかめないままだ。由加がしばらく身を隠しておいたほうがいいと言っていたし、そのほうがむしろいいのかもしれないと佳林も思う。

お客さんも来なくなり閑散とした空気だけがあたりに漂う。佳林は黙々と掃除に精を出している。由加だけが朝から新しい人が来ると言って元気に騒いでいた。

「佳林ちゃん、佳林ちゃん」

佳林が花瓶の水を入れ替えていると、由加が手招きして佳林を呼んだ。

「新しい花魁の子が入ることになったよ。さくらちゃんが探してきてくれたの」

由加がそう言った。

「さくらちゃんにとってこれが最後の仕事になっちゃったんだな」

由加がさも名残惜しそうに言う。花魁をスカウトしてくるなんて、あのさくらが普通にそんな仕事をするなんて佳林にはどうも信じられなかった。それにさくらがいなくなって佳林はほっとしているというのに、由加にはそれが寂しくて仕方ないみたいだ。どうもさくらは二重人格なのか、それとも人によって態度をころころと変えているのかよく分からない。ただしいなくなればなったで歯がゆい気持ちが残る。さくらにやりたい放題にされてそのまま黙ってる佳林ではなかった。

由加に促されて店の玄関までいくと、二人の少女が立っていた。佳林を見ると二人ともぺこりとお辞儀をする。

「植村あかりちゃんと高木さゆきちゃん。よろしくね」

由加が佳林を紹介した。あかりは長く黒い髪をした見とれるぐらいの美少女だ。こんな子をよく連れてこれたものだと思う。

「佳林て珍しい名前やね。よろしくなー」

佳林が名乗るとあかりがそう言って笑った。見たときはとっつきにくい印象があったが笑顔は気さくで何だか話しやすそうだ。

「あたしは高木さゆき、よろしくね。佳林」

もう一人は黒目の大きい人懐こそうな笑顔を見せた。

「うちらは単に女学校に行くお金を貯めたいだけだから。別に佳林の邪魔をするつもりはないから仲良くしようよ」

さゆきがそう言った。

「私の邪魔?」

「佳林は何か借金で大変って聞いた。うちらは別に大変な事情抱えてるわけじゃないからさ。佳林の稼ぎの邪魔はしない」

さゆきははっきりとそう言った。

「それはそうだけど。別にいいよ。お得意様っていうのが別にいるわけじゃないし。借金はすぐにどうでもなるような金額でもないから」

佳林はそう言った。

「そうそう。ムキになって客の取り合いしてもしょうがないから仲良くしような。りんか」

「りんか?」

「佳林って言いにくいからりんか。いいでしょ?」

あかりがそう言って笑った。

今まで佳林に会う人間は、朋子の親友でもある由加をのぞいて佳林を色眼鏡でしか見ない。佳林のことを元高名な貴族だったとか、今は落とされて遊女になっているとかそんな好奇な目でばかり佳林を見つめてくる。でもこの二人はそうでないことに佳林は好感を持った。

さくらもいなくなったことだし、しばらくこの平和なひとときを過ごしたいと佳林は思った。そのうち状況も変わって朋子も姿を見せてくれるかもしれない。今は無理でもいつかは。思い焦がれる佳林の脳裏には朋子の美しい着物姿がありありと思い出された。



その日は薄曇りの何となく胸騒ぎのする日だった。

窓から外を見るといつもと変わりばえのしない空が広がっている。これが永遠に続くという絶望感より、むしろ何か得体の知れない大きな力が自分に覆いかぶさってくるように佳林は感じた。

「あの、佳林ちゃんちょっといいかな」

襖の向こうから由加の声がする。お客というわけでもないらしい。それでも由加の暗い表情からいい話ではないことはすぐに分かった。

「佳林ちゃんのお父様とお母様のことなんだけど」

そう言われてはっとなる。借金で破産して佳林が売られてしまった後は行方不明になってしまっている。

「今、警察に捕まっているみたいなの」

「警察に!?」

佳林は動揺を隠せなかった。優雅に生活を楽しんでいた父と母が何でこんなことになったのだろう。これも自分が余計な因果を引き込んでしまったせいかもしれないと佳林は思った。

「別に何かしたわけじゃなくて。やっぱり借金が払えなくて訴えられたみたいなの」

それを聞いて佳林はただ肩を落とした。

「うちの父も佳林ちゃんを預かっている以上なんとかしたいんだけどね。金額がすごく大きくてどうにもならなくて」

由加が眉をハの字に曲げて言う。お金さえあればなんとかなるのに。貴族の時、佳林はお金なんて簡単に手に入るものだと思っていた。貴族と取引するというだけで一般庶民は高い手数料を払っていたし、宮本家一族というだけでこの国の高い役職にも簡単につけた。それが今は自分が体を売らなきゃどうにもならないらしい。勿論由加も無理強いはしてこないし、佳林も自分のその最後の一線だけは守っていた。

「もっといい客をつかせなきゃいけないってことだよね?」

佳林にメロメロになって、佳林に貢いでくれる客。佳林のためにどんな大金でも出してくれる客を何としてもつかまえなきゃいけない。それがどんなに難しいことでも佳林にはもうそれしか残っていなかった。

「由加様、お客様がみえております」

ちょうどそのとき門前に立たせているボーイが二階までやってきて頭を下げた。

「あ、はーい」

由加が元気よく返事する。佳林にとっても久しぶりのお客だった。今は落ち込んでる場合ではない。警察に捕まっているということは逆に言えばそれ以上の危険はないということだ。例え大口の客じゃなくても通ってくれればそれだけお金になる。両親の保釈金にはなるかもしれない。佳林は気合を入れて由加とともに1階に降りた。

見ると後ろにはつばの広い帽子を被り、うつむき加減に顔を隠した小柄な女性が立っている。白いレースのブラウスに空色スカートをまとい、いかにも貴婦人という出で立ちだ。

「いらっしゃいませ」

由加がすぐに傍によってひざをおる。すると女性は帽子の角を折り曲げてさらに顔を隠した。そして何かを言った後また押し黙ってしまった。

「あの・・」

由加が話しかけようとするとその人は小さな声で応える。呪文のようにごにょごにょと言っていてよく聞き取れない。

「えっと」

由加も困ってさらに耳だけを近づける。佳林が耳をすますともう一度言ったその言葉が今度は、はっきりと聞こえた。

「宮本佳林さんをお願いします」

一瞬戸惑っている由加の表情が次第に変わる。女は帽子のつばを少しあげた。口元が歪んで笑ったのが分かった。

「さくらちゃん?」

今度はさくらはゆっくりと帽子をとった。落胆と恐怖が佳林を襲う。

「戻ってきてくれたんだ」

由加だけが舞い上がって喜んでいた。

「久しぶりだね。佳林ちゃん」

そう言ってさくらはにんまりと笑った。

さくらは決して使用人として戻ってきたのではない。客として現れたのだ。それも佳林を指名している。前は遊女屋で働くもの同士だったのに今は違う。佳林はますます不利な立場に追いやられていた。さくらは佳林がモーニング娘。になるという唯一の機会を奪い去ったあげくにさらに追い討ちをかけるようにやってきたのだ。

「別にからかいに来たんじゃないよ。お金だってちゃんと払うんだし」

さくらは当然のようにそう要求した。お客であれば由加も佳林も従うしかない。

佳林の部屋に通されたさくらは部屋を舐めるように見回した。

「へえ。ちゃんと綺麗にしてあるんだ。あの佳林様からしたら信じられないけど」

さくらは一段と美しくなっていた。モーニング娘。になれたことへの自信だろうか。顔貌は変わらないのに何か魔力でも増したように輝きを放っている。

「一応、お客様をお通しする部屋だから」

佳林はさくらの力に圧倒されておずおずと言う。

「そうだよね。お客の言うこと聞かなきゃいけないんだもんね」

さくらがそう言ってにじり寄ってくる。年端のいかないうら若き美少女のくせにさくらは女衒のように執拗につきまとってくる。佳林は立ち向かうことも逃げ出すこともできない。今、この瞬間を逃げたところでどうしようもないのだ。かつて、さくらが佳林の使用人だったという絶対的な条件はそのまま今の客と花魁という立場にそっくり入れ替わってる。でも泣いてさくらに許しを請うかというと佳林はそうはしない。さくらにだけはそんなことはしたくなかった。

無表情のさくらはさらに距離を詰める。もう少しでさくらの唇と繋がるというところで、佳林は目を瞑った。

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