「さくらの軛」2






「きれい。佳林ちゃんの唇」

目を開けるとさくらが下から佳林を見上げていた。それでも十分近い距離だ。

「口も鼻筋も目も眉も全部綺麗」

褒められてるのか責められてるのか分からなかった。でも薄化粧のさくらの方が実際はもっときれいだと佳林は思った。

−それが勝者と敗者の違い。佳林の脳裏にそんな言葉が思い浮かんだ。さくらは人に卑屈に媚びる必要がなくなった分、輝きを増して自分は無駄に人に気に入られるようになっていく。そんな視線をたくさん浴びることで手垢がつく。まるで安物の宝石みたいだ。

「でも最初から佳林ちゃんの全部、奪わない。時期を見てゆっくりとね」

佳林の背中が壁にどんとぶつかった。知らず知らずのうちに佳林は後ろに追い詰められてたみたいだ。

「さくら、そんなにお金あるの。ここに通いつめて破産した人もいるって聞いたよ」

佳林は神妙に伺う。モーニング娘。とはいえなりたてのさくらがそんなにお金をもっているはずはない。それに私に復讐するよりもっと自分のためにお金を使えばいい。正気に戻れば誰だってそう思うはずだ。

佳林はかつて自分がしたことを棚にあげてそう思う。あの時は貴族の力で何でも出来ると思っていた。自分のことよりも朋子の気持ちが欲しかった。貴族の特権を活かして里保に会ったり、さくらをどうにでも出来ることを望んだ。

「佳林ちゃんていくらなの?」

さくらは口元をにやりと緩ませて言った。

「あきれた。そんなことも知らないで指名したの?表にちゃんと・・・」

「いや、そうじゃなくて佳林ちゃん自体の値段」

さくらが佳林を遮って言った。

「え?」

「あれは1回分の値段でしょ?そうじゃなくてあたしが言ってるのは宮本佳林の値段だよ。いくら出せば佳林ちゃんをまるごと買えるの?」

さくらの凄むような表情に佳林は圧倒される。

「そ、そんなの分かんないよ。稼いで返せるような値段じゃないから聞かないようにしてる」

それではぐらかしたつもりだった。それに自分にどれだけの借金があるのかさくらには関係のないことだ。

「じゃあそんな先の見えない生活してるんだ」

佳林は弱みを突かれてうなだれる。

「確かにこの先どうなるか分からないけど。このお店で一生懸命働いたらいつかは」

「金澤さんが助けてくれる?」

「別にそういうわけじゃ」

佳林の顔が赤らんだ。さくらは佳林の一番痛いところを容赦なく責め立てる。朋子のことを想像して佳林の視線が泳いだ。

「ふうん。まだそういの。期待してるんだ。じゃああたしがそういう希望も全部なくしてあげる」

さくらは冷酷にそう言った。

「ともは絶対に助けてくれるよ」

佳林は声をあげて抵抗する。

「あたしがしようかな」

さくらが少し首を傾けて言った。

「え?」

「あたしが佳林ちゃんを身請けしようか?」

さくらの言葉にはっとなる。

「そしたら、金澤さんは手も足も出ないよね」

「そんなこと。出来るわけないし」

佳林の身請けは富豪の朋子でも出来なかった。それを自分と同い年の、それも平民のさくらに出来るはずがない。

「出来るかもしれないよ。何たってあたしはモーニング娘。なんだからね」

さくらが鋭い視線を佳林に向けた。佳林はそれが単なる脅しではないことを悟った。

「身請けしたら佳林ちゃんに何したって構わないんだよね?」

さくらが佳林の両肩に手をかけた。佳林の背中が壁にあたる。思わず顔をそむけようとしたら目の前にさくらの右腕が壁をついた。さくらの顔立ちは悔しいけど美しい。モーニング娘。になるということは体の中も外もそれほど自信をもたせて変えていくものなのか。逆に佳林の顔からすっかり熱が消え失せた。やめても頼んでも聞いてくれる様子はない。ただ唇を噛み締めてその悔しさに耐えるしかない。

「どうする?あたしが身請けしちゃったらもう誰も助けにこないね」

さくらはそう言ってにやりと笑う。

「私は誰かの物になんてならない」

佳林は目尻だけをあげてきっとさくらを睨みつける。

「強がり言ってられるのも今のうちだよ。あたしは佳林ちゃんをずっと遠いところへ連れて行くつもりだからさ。誰もついてこれないずっと遠い場所だよ」

さくらは遠いところでも見るようにそう言って立ち上がった。

「あんまり苛めちゃ可哀想だから今日はこれでおしまい」

それを聞いて佳林はほっとした。安堵して体から力が抜ける。

「近いうちにまた来るから。服もお化粧も髪型も全部あたし好みの佳林ちゃんにしたいんだ」

通常は佳林はさくらをお見送りをしなければならない。でも佳林は全身にぐっしょりと汗をかいて立ち上がることすらできなかった。さくらの復讐は単なる感情の激高ではない。もっと深淵でふつふつと心の奥底から湧き上がってくるようなものだと佳林は感じた。さくらから逃れるためにはどちらかが死ぬしか方法がないのかもしれない。それを想像した自分に佳林はぞっとした。

「ああ。そうだ」

部屋を出ていこうとしたところでさくらは立ち止まった。

「早く来るといいね」

振り返って唐突にさくらは言った。その言い方は友達に向けるような何気ないものに思えた。

「白馬の王子様」

さくらの発した意味がやっと伝わる。佳林はその言葉に絶望しか見いだせなかった。



歌実験のときは自分がモーニング娘。になる唯一の機会をさくらは奪っていった。自分の将来とかもっているお金や財産を取られるならまだいい。今度は自分自身がさくらに奪われる。朋子にもう会えない。そして、誰も知らないところへ連れて行かれる。

佳林は自分の手のひらをじっと見つめた。もし身請けされたらこの体も手も指の一本一本まで全部さくらのものだ。

悔しい。

悔しい。

悔しい。

佳林の頬に涙がぽろぽろと流れてきた。佳林はそこに座り込んだまま嗚咽して泣いた。

「佳林、どうしたの?」

そのとき、さゆきが部屋へ入ってきた。きっと佳林がなかなか出てこないから様子を見に来てくれたのだろう。

「大丈夫?あの子に何かされた?」

それでも佳林は泣き続ける。優しい言葉をかけられると尚更、涙がこぼれてくる。

そのうち異変に気づいたのか、由加やあかりもやってきた。

「佳林、泣いてちゃ分かんないよ」

さゆきがそう言って背中をさすってくれる。こみ上げてくる感情の渦が少しずつおさまる。ひっくと涙をふいて佳林はさくらに身請けされそうになっていることを三人に話した。由加はさくらから佳林のことは何も聞いてないらしい。

「おっかしいな。佳林ちゃんを身請けするなんてあの子、そんなことを一言も言ってなかったけど」

由加はそう言って首をかしげた。

「小田さくらってどんな子やったん?由加は北の国の学校で一緒だったんやろ?」

あかりがそう言った。佳林もさくらと由加がそんなに親しいとは知らなかった。でも簡単にこの店にも入り込めたってことは仲がいいと考えて当たり前なのかもしれない。

「さくらちゃんて性格も優しいしとてもいい子だよ。佳林ちゃんに復讐なんてするような子にはとても思えないけど」

由加はますます首をかしげている。

「そうやな。最初に会ったとき悪い子には見えんかった」

あかりまでそう言い出す。

そうだ。元々はきっと普通の子だった。佳林がさくらにひどいことをするまではだ。使用人の娘として宮本家に出入りしているさくらは、まともだったに違いない。佳林は自分のしたことの後ろめたさを初めて感じる。

「佳林はさくらに復讐されるようなことしたの?」

さゆきが不思議そうに尋ねる。

「別に。私は何もしてない。たださくらは、私の家の使用人として出入りしてただけで。きっと復讐っていうよりも嫉妬なんだと思う」

「嫉妬?」

「そう。嫉妬。私が貴族であの子はただの召使だったから」

「じゃあやっぱさくらって嫌なやつじゃん。自分がお金持ちじゃかったからって、佳林に復讐するなんて」

やっとさゆきだけが佳林に同調してくれた。

佳林はさくらに部屋に無理やり押し入ったことも自分がしたことを何一つ言わなかった。小田さくらの本性がみんなにわかってない以上、全てを懺悔して楽になろうとは佳林は思わなかった。そうするぐらいなら自分だけの力で「小田さくら」をねじ伏せてみせる。生身のさくらは怖くない。そんなさくらに屈するぐらいなら死んだほうがましだ。さくらの化けの皮は自分がはがしてやる。涙を流しながらまだ佳林はまだそんなことを思っていた。





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