Dear My Natsumi







\title Dear My Natsumi

\author Easestone

1話

 夏美(なつみ)に手紙を返信しようと思っていた。でも久しぶりにペンを握ったせいか自分の字が何だか気恥ずかしいものに感じた。ペン先が止まって、あたしは何か気配を感じるようにふと窓の外を眺めた。家々の町並みが陽炎みたいににじんで見える。うだるような暑さがガラスから染み込んでくるようだった。ぼっと部屋のクーラーが作動を再開した。

 4年前までは高校生だった。クーラーのない教室で授業を受けていた。あの時は暑さなんかで憂鬱になどなっていただろうか。ただ目の前にあることだけが関心事で、心も体もガラスの先のように尖っていた。あの鋭敏な感覚の中、あたしは夏の暑さなんて体の外に押しやっていたんだと思う。そしてあたしが手紙を送る相手である夏美を思い出すと言うことは、そんな感覚を含めて高校時代全てを思い出すということと同義だった。あたしにとって高校時代は思い出したくないはずだった。だから夏美に関してもそうだとずっと思い込んでいた。だけどペンの止まった理由は明らかに違う。逆に滑らかに思い出されてくることが多すぎて自分の頭の収集がつかないのだ。それもこれも思い出が夏美というフィルターを通して見てるからだろう。あたしは夏美を思い出すと共に、高校生活の痛々しさと若さが芋づる式に沸きあがってくるのを感じていた。あたしと夏美は5年前に風変わりな高校で出会った。今思えばそのことだけなのにだ。その「風変わり」な高校時代を思い出そうと思う。でないと夏美に手紙なんて書けそうにない。

 あたし達の母校であるK高は東京の少し外れにある県立高校だ。そのせいだかどうだかは分からないけど、都会ぶった「自由」や「権利」を生徒が声高に叫んでいた。生徒達の活動の中心は生徒会。K高の生徒会は他の高校も存在を知っているくらい有名だった。実際に校則を変えて服装や髪型を自由にするといった実績もあった。あたしはその生徒会で生徒会役員をやっていた。そんなところで生徒会に入るなんてあたしは一風変わっていたと思う。だけど変わっていたのはあたしだけじゃなくて、もう一人の変わった人である「夏美」も生徒会にいた。

 あたしが最初に生徒会に入ったときはほんの優等生気分のつもりでやっていた。だけどそこの先輩達はあたしの想像以上に「服装の自由」や「国歌斉唱義務の撤廃」「日の丸掲揚への反発」などをやっているとても活動的な生徒会だった。あたしは周りに流されたわけではなく自然と主体的に活動に取り組むようになっていた。当時のあたしにとってそれは当然のことのように思えたし、正しい道だと信じ込んできた。今は正直正しいか間違っているかなんて分からない。きっとどちらでもよいのだと思う。

生徒会はあたしみたいなやりたがりの常勤役員と各クラス代表のクラス委員から成り立っていた。そしてあたしが手紙の宛て主である森永夏美は3年の時、クラス委員になった。そのせいで出会うはずのないあたし達は出会うことになったのだ。

 夏美は、とにかく世の中の目立つもの、可愛いものあらゆるものを身に着けている子だった。髪は金髪で、ピアスの穴を何箇所も開け、腕にはブレスレット何個もつけて常に胸からはキーホルダーが何個か垂れ下がっている、とても目立つ子だった。進学校だけあって夏美のような格好をする生徒は少なかった。唯一そんな派手な格好をする人たち、と言えば就職する人が多い夏美のクラス、3年7組だけだった。だからかもしれない。夏美のクラスはいわゆる「不良」が多くてとてつもなく評判の悪かった。そのころ、あたしは「不良」というものを忌み嫌っていた。理由は格好や服装だけじゃない。それはあたし達が死ぬような思いをして勝ち取った「服装の自由」を我が物顔で使われ、それに何も意見なんて言おうとしないことだ。いや最初から意見などない。ただ自由に、適当に何も考えもしないでやっている。あたし達がどれだけ「服装は高校生らしいものとする」という服装規定の「高校生らしさ」をどれだけ考えて先生達に訴えてきたのか何も分かっちゃいない。不良なんて世の中に抵抗してる気持ちになってて、世の中が変わらないから絶望だけしてる。そして自分を哀れむかのように派手な格好をしているが実はそれは単なる自己憐憫でしかないのだ。

 あたしが夏美と初めて口を聞いた日はよく覚えている。天気は恐ろしいほど快晴で、殺人的な光線が地上に降り注いでいた。狂おしいほど真夏で、夏休み中にも関わらずあたし達生徒会役員は、隣の高校H高の生徒と集会を開いていた。近隣の高校同士で同時に生徒達が同じ訴えでデモや集会など行動を起こせば効果は高まるし、マスコミにも注目される。当然あたし達の考えや訴えが広まり実現する可能性が大きくなるのだ。

 今だったら笑ってしまうかもしれない。だけどあのころのあたし達は本気だった。あたし達は夏休みというバカンスよりも卒業式を自分達の手に取り戻すこと。君が代を歌わない自由。日の丸を国歌と認めない自由。自由を求めていた。

 話し合いはあたし達がいつも使っている生徒会室で行われた。夏休み中にも関わらずK高の生徒会役員はほとんどがそろっていた。十数名のうちの生徒に対面してかH高の生徒会長と副会長が所在なさげに目の前に座っている。外は炎天下でクーラーも何もない殺風景な生徒会室だった。唯一大きな木時計が秘密めいた空気を醸成する。

 「あたし達は今の卒業式はとりやめる。代わりに生徒会主催の卒業式を行う。この卒業式には国家も校歌も日の丸もない。」

 生徒会長の黒原有里{くろはらゆり}がH高の生徒会のメンバーを前にして言った。彼女らしいはきはきとした口調だった。

 「従来の体制側の束縛からの開放ってとことね。」

 あたしはもう何十年も前の学生運動風のことを言った。当時は自由を求めて団結し行動していたというのに今ではその予兆さえ残っていない。ようするにみんなめんどくさいのだと思う。何よりパワーがない。あたし達はそれを変えていかなければならないと強く思っていた。それでも周りはなかなかついてはこない。  H高の代表は軽くうなずいて椅子にのけぞった。

 「でも生徒会の卒業式が学校に認められなかったらどうするんですか?」

 「もちろん、強行する。だから他の高校でも団結して同じ行動をとってほしいのよ。」

 有里{ゆり}は強い口調で返した。

 「そうは言ってもなぁ。僕達の卒業式は、生徒会主催のものと学校主催のもの二つやってて結構めんどくさいものは学校が引き受けてくれるしな。別に僕達は学校と波風たてたくはないんだよ。」

 「学校と波風立てなくないんだったら何も変わらないでしょう?」

 何もしないと言うことは権力に屈するに等しい。それは不平だけ言って、行動に移せない不良と全く同じ存在になると言うことだ。ありえない。あたしには断じてありえないことだった。

 「僕達はあくまで学校同士の交流がしたいのであって・・」

 H高は当惑気味のようだ。

 「それに。ここは日本なんだ。国歌斉唱も国旗掲揚もするべきだよ。君達も考え方を改めたほうがいい。学生運動なんてもう何十年も前のことだ。」

 横にいるもう一人のH高がもっともらしく言ってきた。

 「だからってあたし達は何もかも先生や校長の言うなりになってもいいわけ?」

 「そういうことを言ってるんじゃなくて。学校には学校のやり方があるだろう。僕達にも僕たちなりの生き方もある。それぞれ尊重しようってことだよ。」

 有里もうちの他のメンバーも何も言わなかった。だから代わりにあたしが言ってやった。

 「話しにならないわ。行動も起こさない、考え方も違うあなた達と交流するなんて無意味ね。」

 「ちょっと里佳{りか}?」

 有里は止めたけどそんなことであたしの主張は止まらない。

 「生徒会で生徒の権利を守ること、日の丸の掲揚中止、国家斉唱義務の撤廃は絶対にあたし達がやらなきゃいけない。文化祭であたし達はそのことを宣言して見せるわ。あたし達は本気でやってんの。だからあんた達と遊んでる暇はないの。」

 あたしはさっさと席をたって廊下に出た。H高の生徒会がしたがっていることに大体気づいたからだ。  「おつかれさま。」

 「ちょっと里佳{りか}、勝手に会を終わらせないでよ。」

 後ろから有里が甲高い声で追いかけてくる。

 「あんたこそ、勝手にH高との共闘なんて決めないでよ。分かってんの?あいつら合コンの仲間を作りたいだけでしょ?」

 運動場に続くドアを開けた。むっとした空気の上に太陽光が浴びせかかる。白いグラウンドは、太陽の光を反射させて不愉なぐらい輝いていた。

 「里佳!」

 あたし有里を無視した。滑稽な自分の姿が外から見えている気がしていた。

     これまで生徒会の活動は何から何まで生徒会長の有里が取り仕切っていた。彼女は1年のときから高校生のデモや集会に参加していた。高校生の主張というコンクールで金賞を受賞したこともある。そのような知名度がいかにもK高校の生徒会長としてのキャラクターを彼女に備えさせた。彼女は決して美人というわけではない。だけどそのか細い体と弱弱しく細長い目が、イメージと相反してか人の目をひきつけた。その線の細さが、生徒達の微妙な同情と共感を生んだのだとあたしは勝手に思っている。生徒会長に選ばれたことも一重にその知名度による。彼女は校則の服装規定に反対する全校生徒ほとんどの署名を集めた。そして生徒の絶大なる支持を元に服装の自由規定を成立させたのだ。そんな有里の影に隠れて、あたしは何も出来なかった。何もかも有里の言いなりになって、有里が全てをやったことになる。そんな状況をあたしには耐えかねていた。あたしは1年のときから生徒会活動に加わってきたという自負があった。あたしには有里よりも確固とした考え方をもって生徒会の活動に望んでいるし、そのための立場も能力もあるはずだった。

 いつになったらあたしの出番がくるのだろう。あたしはぽつんとつぶやいた。あたしはイデオロギーに凝り固まっていた。しかし「イデオロギー」という言葉の本質をあたしは未だに見抜けない。だけどその時代の自分自身を思うことで、少なくとも自己主張で人は動くのだということをはっきりとあたしは学んでいた。しかし、人と自分を比べる。人と対立する。人と向き合う。そして挫折する。あたしはその連鎖の本質を見抜けないまま走り続け、その実佇んでいた。

 「クラス委員の人たち。残ってるんでしょ。戻らなくていいの?」

 あたしは言った。別にクラス委員を心配しているわけではない。有里との無意味な会話を終わらせたかった。それでも模範の生徒らしく、いつもの波風立てない優等生モードを続ける有里いた。有里はまだあたしについてくるつもりらしい。あたしは運動場の中心を校門に向かって歩き続けた。

 「そういえば森永夏美さん。来てないわね。」

 有里が急に言った。

 「モリナガナツミ?」

 「知らないの?あの7組の。」

 「知らない。そんなヒト。」

 「今度クラス委員になった7組の派手派手な子よ。主張はしないで後から文句ばっかり言ってきそうな人。それで満足できない原因は自分自身だって気づかないんだね。」

 有里はあたしが思っていたことをそのまま言葉にした。何故だろう。同じ言葉でも有里が発した言葉には共感が得られない。言葉一つでさえ注目を集めているだけの人間から発せられたのなら、従うことなんて出来なかった。

 「まあ、別に今日の集会はいいわ。H高なんて所詮どこにでもある男子高でしょ。あなたは文化祭で頑張ってくれればいいわけだし。」

 本当に生徒会でのつながりがなければあたしは有里とは口も聞かなかっただろう。空気みたいにいてくれさえすればいいのに。あたしは本気でそう思った。そのときだった。

 「二人とももう帰るの?」

 そこに夏美がいた。髪を金髪に染めてて顔は顔グロで巨大なピアスをしててブレスレットを4つぐらいしてて、目元に白いアイラインを決めている。燦燦{さんさん}と輝く太陽とはいかにも不釣合いな存在。

 「じゃああたしは帰るわ。」

夏美の生意気な声を聞いた。

あたしはさっき有里が言ったのと同じ感覚を持った。だけどそのころのあたしにとってアホクラスの馬鹿なクラス委員のことなんてどうでもよいと思った。熱のかたまりと眩しすぎる光が舞い降りてきていた。

 あたしが勝手に出て行ったことで、H高との共闘など空中分解してしまった。ただ、あたしにはどうでもよかった。有里に何を言われても言い返せず、夏美が腹立たしいのと運動場は白くて眩しいのとで、その時の印象は光と感情の記憶でしかない。



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