この風が来た道






私がすごく好きなのは、桃が不意に見せる梨沙子への優しさだ。それを見た瞬間いつも気を張ってる私が抜け殻になるみたいに心が温かくなる。梨沙子に嫉妬しない。それは決して強がりなんかじゃなく私の誇りだ。

私はみんなが思ってくれているほど穏やかな人間なんかじゃない。むしろ気が強くて自分勝手でわがままな性格だ。みんなが好きだと思ってくれてる私はきっとそんな私じゃない。そんなふうに悩んでアイドルとしての理想と現実のギャップを少しでも埋めようともがいてた。そんな毎日を必死でおくってるといつの間にか「ありのままでいいんだよ」なんてキラキラワードに誘惑されてしまう。そして駄目な自分をそのまま受け止めてくれる人をいつも探してた。

 私の目に付くのはいつも表面的なことばかり。ダンスパフォーマンス、歌、歌唱力。もっとうまくなりたい。もっと目立ちたい。空を見るように上ばかり見上げていても、結局自分にないものは永久に手に入らない。それでも私は必死に両手を広げて空を飛ぼうとする。目の前にはきらびやかな世界が、青くて美しい空が一面に広がってる。こんなところで立ち止まってるわけにはいかない。ここで吹く風に乗って私は飛び立ちたい。アイドルとしての意地とプライドが私を突き動かす。

「愛理、そうじゃなくてさ。もっと違うところから飛んでみたら」

そのとき、急に桃の声が聞こえたような気がして私は思わず全身の力を緩めた。そして次の瞬間には一気に力が抜けてしまって笑ってしまう。私が桃のことをすごく好きになったのは、Buono!で起こったある事件がきっかけだった。



そのとき私達はBuono!ライブの真っ最中だった。私の頭の中はBuono!でいっぱいだ。私は℃-uteの鈴木愛理ではなく、Buono!の鈴木愛理に頭を完全に切り替える。バックバンドは 「Dolce」さん。チームメンバーはみやと桃の二人だけだと思う。耳の奥では激しいロックバンドが鳴り響き、ダンスと激しいパッションだけが私を支配する。特に今回のRe-Buono!のライブはアイドルを脱ぎ捨てて私達は完璧にロックバンド路線に向かっていた。

 ツアーを周りながら振り付けも見せ方も変えていく。短期勝負のBuono!ライブは本当にその場その場の勢いが大切だった。

「れでぃぱんさーの振り付け、というか入り方変えてみたいんだけど」

桃から提案があったのは初日のライブが終わってすぐだったと思う。「れでぃぱんさー」は桃がセンターの曲だし、今回のバンドでも一番の盛り上がりの曲だ。桃にとっても一番思い入れのある曲だと思う。私達はすぐに桃の提案を受け入れてスタッフさんと話し合った。

「メンバー紹介から間奏が少しあると思うんですけど。ここナシでいきなり曲に入りたいんですよ」

桃が真剣な表情で言った。

「れでぃぱんさー」は「Dolce」のメンバー紹介から間奏の後に曲へ入る。桃がセンターで一直線に右手を掲げて一気に曲が始まる。桃の刺激的な提案はどこのぷりぷりアイドルが言っているのだろうと本当に不思議になる。

「そうだね。そのほうがいいかもしれない」

みやが桃の横にすっとあゆみ出てスタッフさんに言う。

私は変更されたら入り方のタイミングはどうなるんだろうと頭の中でシュミレーションするので精一杯だった。三人でDolceさんのメンバー紹介から曲の入り方をすぐに合わせてみる。みやと桃の二人は真剣そのもので笑い一つない。それは変な緊張感とか場がギスギスしているわけでは全然ない。ただ集中して、ライブと音楽のことで頭をいっぱいにしているという研ぎ澄まされた空間だった。

私はこんな一瞬を℃-uteでは味わったことがない。だからBuono!でいられるこの時間をとても幸せに感じた。あっという間に三人で新しい振り付けが出来上がる。こんなことは℃-uteじゃ絶対にありえないことなのにBuono!だったら当たり前にようにやれてしまうことに新鮮に感動した。

「そういえばなっきぃに差し入れもらったよね。あれ食べようよ」

みやがタオルで汗を拭いながら言った。

私はライブに梨沙子となっきぃが来てくれたことを今さらのように思い出す。

「お。いいね」

私はなっきぃからもらったシュークリームを思い出していそいそと食べ物の方へ駆け寄っていく。

「愛理、梨沙子に会った?」

「まだ」

桃の問に私は短く応える。なっきぃはライブが始まる前に楽屋に来てくれたから会えたけど、梨沙子にはまだ会えていない。とはいっても梨沙子とはBuono!のこととかすでに昨日電話で少し話していたからあまり気にしていなかった。差し入れもっていくという話はあったけど私はライブの後もミーティングがあるから会えないかもと言っていた。梨沙子は梨沙子でBuono!の事情は理解してる人だったから会えなかったら今度でいいと言ってくれた。私は確か食べ物だったらミーティング抜け出してももらいにいくって話したっけ。梨沙子は電話の向こうで呆れてた。

「会ってきなよ。せっかく差し入れ持って来てくれてるんだから」

桃の言葉に一応うなずいてみるものの私の頭の中はライブでいっぱいだ。

「分かった。でもなっきぃと一緒なんでしょ?」

私はなっきぃが差し入れでくれたシュークリームをほおばる。梨沙子を一人で待たせちゃ悪いけどなっきぃと一緒ならきっと大丈夫だ。

「梨沙子の差し入れって食べ物なの?」

私はみやにそれとなく聞いてみる。

「いいや。食べ物じゃないけど」

「あ、そう。じゃさっきの桃の話、もうちょっと振り付け確認してから行く」

私は桃のことを意識して言った。普段の桃子のキャラを完全に脱ぎ捨てて、片足をステージの階段に乗せて歌える桃子の存在が私には眩しかった。

「でも梨沙子待ってると思うけど」

桃が不満そうに私を見た。私は桃の反応が意外だった。今回の振り付けも曲の入りの変更も桃が提案したことなのだ。桃は自分が一番可愛いとか自分に一番注目して欲しいと言っておきながら仕事では自分の意見には一定の距離をおいている。いつも自分の考えより全体の意見を重視することの方が多い。特にBuono!の会議なんかは、話を進めるために自分の提案がいらないと思った瞬間、凍りつくほどの冷静さでそれを投げ捨ててしまう。それでいて卑屈さや悔しさみたいなものはこれっぽっちも感じなかった。

 私達は普段からスタッフさんの言うとおりに歌ってきた。振り付けの先生や演出を考えてくれる方の要求通りに歌ってファンの人を楽しませるのがアイドルだと思ってきた。だからこそBuono!で自分の意見を言ってみたり振り付けを自分たちで考えたりすることに私はすごく価値をおいていた。そんな私からすると桃という人間は全く分からない存在だった。

桃は私のことをじっと見ている。

「分かった。すぐ行くから」

桃の視線に責められてるような気がして私は観念してそう言った。そんなに梨沙子が大事かな。私の頭の中は正直桃への不満でいっぱいだ。いくら梨沙子が来てたってこの現場はBerryz工房じゃない。Buono!なんだ。自分が℃-uteからちゃんと離れている分、桃にはその区別がきちんとついてないように思えた。みやはどうなんだろう。私はそんなときは大抵みやを頼ろうとする。

「みやは?もう梨沙子に会ったの?」

私はまるで助けを求めるようにみやに言った。

「会ったよ。さっき桃と一緒に。愛理も行ってきなよ」

でもみやにまでそう言われた。

「じゃあ嗣永はそろそろ次のロケ先に向かうんで」

そのときマネージャーさんが言った。

桃はその言葉に小さくはいとうなずくとすぐに荷物をまとめだした。今ライブが終わったばっかりだ。私はその時はっとなった。桃が忙しいというのはメンバーとしていつも心得てるはずだった。でもそれは言われたらわかるぐらいの知識程度で、桃の忙しさをまだ体感として感じたことがなかった。体も喉も疲れてるのにまだそれを使わなきゃいけない。さっきまでの桃への不満は一瞬にして、まるで穴のあいた風船のように萎んでしまった。

「あ、そうだ桃、これ持っていって」

みやがさっとのど飴が入った箱を差し出した。みやが渡したはソーダ味の飴で、ライブが終わった後に私もよくもらったことがあった。特に喉を酷使した後になめるととてもよく効く。

「これ、全部あげる」

みやはその飴を箱ごと桃に渡した。

「おー。みや気が利くじゃん」

桃がうれしそうにそれを受け取った。私はこんなときに全然気が利かない。みやと桃のやりとりをじっと見ていた。

「あと、これも」

みやが一枚の写真を差し出す。それはさっきライブが終わったあとに「Dolce」のみんなと「Buono!」の三人でライブ会場をバックに撮った写真だった。

「さっき出来たからってスタッフさんにもらった」

写真にはさっきのライブの熱気がそのままだった。暗いライブ会場をバックにメンバー全員にフラッシュのように前方から白い光が当たってみんなの顔が浮き上がるように輝いて見えた。特に桃が一番センターにいてマイクスタンドで振り上げて満面の笑みでポーズをとっている。その顔はアイドルとしての笑顔というより学校でキャンプに行って撮った写真のように幼く無邪気な顔だった。

「みんな青春してるね」

桃が照れて人ごとのように言う。

「何言ってんの。桃もだよ」

みやが笑って言った。みやはこのタイミングで桃に渡したかったのだと私には思えた。

「そうだね」

受け取る桃の顔が輝く。きっと桃は今日一日をこのライブで心を満たして仕事に向かうんだろう。

「頑張れ。あともう一本でしょ?」

「何が?」

「ラジオ」

「うん」

桃の次の仕事はラジオ収録なのだろう。桃とみやの会話はいろんな部分が省かれていて何だか家族のように思えた。Berryzのメンバー同士の会話はぶっきらぼうで味気ない。単に苛立ちとか今思っただけのことをそのまま言ってるだけのときさえある。そこに深い感情はきっとない。でもそうであればあるほど家族のような絆の強さをBerryzに感じる。そしてそれは多分今の℃-uteにはない部分だと思う。私はそのときBerryz同士の関係をとても羨ましく思う。

「愛理、ちゃんと梨沙子のとこ行ってよ」

桃がもう一度私を見て言う。

「あ、うん・・・」

そのときちょうど振り付けの先生が戻ってきた。「梨沙子」という名前が私の心の中に鳴り響く。私は逃げるように桃とみやのいるところから離れた。頬がかあっと熱くなってみぞおちあたりに消化不良なわだかまりのようなものがうずく。この気持ちは嫉妬といえば嫉妬なのかもしれない。でも梨沙子に対する嫉妬なんかじゃない。もっと大きなもの対するものだった。ももとみやに対する嫉妬?Berryzに対する嫉妬?よく分からない。でも私は二人から何となく疎外されたような気持ちになったのは確かだった。

 Buono!はもしも私が「℃-uteに入っていなくてBerryz工房に入っていたら」というありえない妄想をかきたてる不思議な場所だ。もし私がBerryzのメンバーだったら。先にデビューしたBerryzに何のコンプレックスも持たずにアイドルになっていたらもっと違う自分になれていたかもしれない。心の弱い私はその「違う自分」を今よりもっと輝いた存在のように憧れを感じることだってある。でも℃-uteの存在が私のそんな幻想を打ち砕いてきた。℃-uteがなければ今の私は絶対ない。

 今日は梨沙子のせいでそのバランスが崩れていた。「℃-ute」だからこそ私は「Berryz」に対抗できるのに℃-uteじゃない私はBerryzに対抗する手段を持たない。さっきから桃が言ってる梨沙子の存在はれっきとしたBerryz工房の存在をこのBuono!の現場で決定づけていた。Buono!ではどうしたって℃-uteの自分の存在が否応なく希薄になってしまう。確かに桃ほど自分自身がしっかりしていればBerryzだろうとBuono!だろうと「嗣永桃子」は変わらないのだろう。でも私はそうじゃない。「℃-uteの鈴木愛理」と「Buono!の鈴木愛理」は違う。

 私は何となく梨沙子に会いにいくのが怖かった。梨沙子は、「生身の菅谷梨沙子」は私にとって大切な親友だけど「Berryz工房の菅谷梨沙子」はその存在が確かすぎて私にとってある意味脅威だった。 

 

 結局私は、そのまま振り付けの先生と「れでぃぱんさー」の出だしの動きについて話し込んでしまった。何かを忘れたいときに別のことに夢中になるのは昔から私の悪い癖だ。途中でなっきぃが梨沙子を偶然連れてきてくれたらいいのにと密かに思った。でもそんなことは全くなく、スタッフさんの熱意にそのまま私は流されていく。みやはそんな私の気持ちを見抜いてるのか、すぐ傍で私を見ていたけど何も言ってこない。みやは仕事のことや悩み事はすぐに相談にのってくれるけど女同士の人間関係とか喧嘩とか全然介入してこようとはしない。女の子ってむしろそういう関係に首をつっこんでくる子が多いけどみやに関しては全く違う。まるですました男の子みたいにだんまりを決め込んでる。でもそれでいて私のことはしっかりと見てる。何も言ってこないみやの視線が何故だか痛い。今の私はどういうわけかみやに見捨てられたというかばっさりと切られているような気持ちになる。ただし、それは私に後ろめたい気持ちがあるからそう感じるに違いなかった。

 夜の霧はライブの熱気をたっぷりと含んでまだそこらじゅうに充満してるみたいだった。そのせいか空を見上げると星の煌きが何となく揺れているように見える。そして狼男の映画に出てきそうなほど巨大な月が不気味なほど赤く輝いていた。

 なっきぃと梨沙子は先に帰ってしまい、みやと私はミーティングが終わって二人で帰り道を歩いていた。私は結局梨沙子に会えなかった。会わなかったと言ったほうがいいかもしれない。

「桃、大丈夫だったかな」

ぽつりとつぶやいたみやの声にすぐに反応できない。

「忙しそうだね」

適当に応えるしかなかった私の言葉にみやは一瞬表情を曇らせた。

「Buono!で頭いっぱいにして今度はBerryzにうまく切り替えられるかな。さすがにあたしも今日は出来ない。何か全部力使い果たしちゃって」

そう言って微笑むみやを珍しくか弱くて女の子っぽいと思った。Buono!のみやはカッコいいし私にとって憧れの存在にしか見えない。でも疲れた時に一瞬だけ見せる儚げな表情は私をいつも釘付けにする。いつも傍に寄り添っていたくなる。

でもみやは私を寄せ付けないほどの凛々しさで毅然として前を見つめていた。

「でもきっと大丈夫なんじゃない?桃なら」

そんなみやの姿を見てぶっきらぼうに私はそう言った。

「桃はあれでも弱いとこあるからさ」

首をかしげるようにみやが私を見て、私は自分の声が一瞬消えてしまったように錯覚した。夜の空気が濃すぎて私の声がそのまま吸い込まれていきそうだった。

「ミーティング長引いたし、桃の方が早く終わってるかも」

みやはそう言って携帯を取り出した。

「着てないか」

桃からの連絡をチェックしていたらしく、みやはそう言って携帯をパチンと閉じる。

「桃ってそんなにこまめに連絡してくるの?」

私は仕事に関してはあくまでクールな桃の姿を想像していたから何か意外に思った。

「うん。こういうときは結構してくれるよ」

表情を変えずにみやはそう言った。

「こういうとき?」

「んー。一人の仕事がたくさんあったりしたとき。心配させたくないんじゃない。普段は桃からの連絡なんて全然だけどね」

そう言ってみやはからりとした笑顔を見せた。私と桃はメールのやり取りなんてほとんどしてない。私が返信を忘れたりすることも多い上に桃は仕事が忙しいだろうから何となく遠慮してしまう。だから桃に久しぶりに会ったときなんてなんて話せばいいんだろうと思ってしまうこともある。その度に桃の私に対する全く変わらない接し方というか安定のキャラクターにほっとする。

そのとき、私の携帯が突然鳴り始めた。

「私の方?」

思わずそう言ってしまった。液晶の画面には桃の名前がはっきり出てる。

電話に出る一瞬前にみやの顔を思わず見た。みやは何で自分じゃなく愛理に電話してきたんだという不満と疑問が入り混じったような不思議な表情をしていた。

「もしもし、桃?」

みやの視線を感じながら私は電話に出た。

「愛理。ちゃんと梨沙子に会った?」

いきなり桃はそう言った。私はその言葉を聞いて脱力した。何だ。桃がわざわざ電話してくる用事なんてそれだけのことなのか。私はみやに目配せして大した用事じゃないことを伝える。

「ちょっと愛理?聞いてる?」

「ん?ああ聞いてる聞いてる。それがさー。打ち合わせとかで遅くなっちゃって」

言い訳じみた私の声の中にも仕事優先は当たり前という気持ちは多分に入っていた。今度は桃の返答が返ってこない。

「あ、でもれでぃぱんさーもうまくいきそうだよ。今もみやと話してたんだけど」

私はみやに目配せして言う。

「やっぱり」

失望したような桃の低い声が聞こえた。

「梨沙子、ずっと愛理を待ってたんだよ」

私を責めるような桃の口調に驚いた。

「え?」

私は単に聞き違いじゃないかと思った。何故って今日のミーティングは桃が提案したことに対してスタッフさんを含めずっと今の時間まで話し合ってきたのだ。桃がそれに対して文句を言うのはおかしい。

「愛理、梨沙子に会ってくるって約束したじゃん」

愚痴みたいな口調で桃は言う。あんまり怖くはない。

「したっけ?そんなこと」

「したよ」

「で?桃、何か梨沙子に言われたの?私、梨沙子には会えるかどうか分からないってあらかじめ言っといたんだけど」

てっきり私は梨沙子が桃に何か言ったのだと思った。桃は事前にあった私達のやり取りを知らないのかもしれない。

「そうかもしれないけど。梨沙子差し入れ持ってきてくれたし」

桃はまだぶつぶつ言っていた。

「ちょっと愛理、いい」

そのときみやが私に向けて手を差し出す。みやは私の携帯に出ると桃と話し始めた。私は桃の電話から解放されると空を見上げて一息つく。あたりは真っ暗でライブハウスの周囲には何もないせいか星星が空一面に広がってよく見えた。みやは少し離れたところで低い声で桃と何か話している。私はみやが話す声は極力聞かないようにそっぽを向いて立っていた。梨沙子にはあらかじめ会えないと言っていたわけだし、勝手にすっぽかしたわけではない。それに私はBuono!のライブというとても大事な仕事に集中していた。それは一緒にいたみやもきっとわかってくれる。ただ桃のために頑張ったことだから、桃には一番に理解しておいて欲しかった。大して怒っているわけではないのに頬のところが何だか熱い。

 みやは何だか真剣な表情で携帯に向かってしゃべりかけていた。みやが着ている黒と白チェックのコートが月明かりに照らされて、まだらに光って艶かしく見える。うつむき加減にすましているみやの顔は鼻がすっととおって、透き通るように白い肌は美術室に置いてあるダンテの彫像を思わせた。

 みやは何を話しているんだろう。傍に行って聞けばいいのにあえて私はそうしない。梨沙子のことだろうか。みやは私が悪くないと言ってくれてるんだと思う。頭の中でひとしきり自分を正当化したあとで、やっと私は梨沙子のことをすっかり忘れていたと認める。意識的にそうしたのかは自分でも分からない。

 成長するにつれて連絡もとらなくなり、すれ違いが多くなった私と梨沙子。でもそれが原因で喧嘩になったりはしない。むしろ以前に比べて衝突することもなくなった。最近になって梨沙子を過剰に意識しているのはいつも私。だから桃は私があえて梨沙子を無視したみたいに見えたのかもしれない。でも桃は知らないかもしれないけど私には最初から梨沙子から離れる勇気なんてない。    

 Buono!にはいつも梨沙子の影がつきまとっている。三人で話していると必ず会話の中に梨沙子が出てくる。それは梨沙子と仲がいい私のせいだとずっと思ってきたけど案外そうではないのかもしれない。桃にもみやにも、そして私の中にも同じ配分で梨沙子が存在していて、それは誰かが口に出すことで初めて実感する。こんなにも私にも桃にもみやにも近い存在を簡単に手放すことなんて私にはできない。

電話が終わったのかみやがとことこと歩いてきて私に携帯を返した。

「何かさー。今から来るって桃」

みやがあきれたようなすましたようなどっちつかずの表情をして言った。

「え?」

私は信じられないという表情をする。

「もう。何、何怒ってんの?桃」

私は地面にへたりこむ。

「別に怒ってるわけじゃないみたいよ。でもうちもこのまま桃ほっとけないっていうか」

みやが困ったように私を見下ろした。てっきり同情してくれると思っていたみやからはそれ以上の言葉はない。その口調から私は何となくみやが桃の味方というか、桃よりになっていることを感じた。こうなっては最後の手段だ。私は梨沙子に電話をかけた。気軽にかけるつもりだったけど少し緊張した。以前は用事なんてなくても時間さえあれば梨沙子に電話してるときもあった。でも今はそんなこともなくなった。特に今みたいな気まずい状況ではなおさらだ。

「あいり?」

梨沙子はすぐに電話に出た。不思議そうなその声は電話で話すのが久しぶりのせいかもしれない。

「あ、梨沙子ごめんね。会いにいけなくて」

私はわたわたと大げさに言った。

「んーん。今終わったの?」

梨沙子は普段と変わらなかった。私はてっきり梨沙子が桃に私に会えなかったについて桃に何か文句言ったに違いないと思ってたから何だか拍子抜けした。

「うん。やっと振り付けの確認とか終わって。みやと帰ってるとこ」

「そっか。お疲れ様。じゃあ今外にいる?」

梨沙子は言った。

「うん。そうだけど何で?」

まさか梨沙子まで今から会いに来るって言いそうで私は動揺する。

「あの、星がすごくきれいだから」

耳に入ってきたのは梨沙子の意外な一言だった。

見上げたらたくさんの光の点が一気に視界に入ってきた。本当に空が輝いて見える。さっきも星空を眺めたはずなのに人から言われてみると星の一つ一つが鮮明にくっきりとその存在感を増していた。

「ホントだ」

私は一言だけ言ってもう何も言えなかった。梨沙子はいつもずるい。いつからか梨沙子と私は考えていることがずれるようになった。

頑固で不器用なのは私と全く同じはずなのに徐々に梨沙子と私との間には大きな距離を感じる。私と違って梨沙子は不器用さを隠そうとしない。大人になったら少しでも器用に見せることが当たり前なのに何故か梨沙子はそうしない。昔から梨沙子の見栄っ張りで強情な性格は私にそっくりだった。でも今の梨沙子は私と全然違う。

努力して変わったのは私のほうだ。

なのに私のほうが引け目を感じるのはなぜだろう。

梨沙子にはちょうど明日会社にいる時間がBerryzと℃-uteで重なるのでそのときにもらうことになった。

「今梨沙子に電話したけど。別に梨沙子何も言ってなかったよ」

私はみやに言った。

「そっか」

みやはまだ何か浮かない顔をしている。

夜の帳がすっかり降りて全面に広がる星空が私の視界の飛び込んでくる。空をずっと眺めてるとあまりに広すぎて私は自分自身がどこに立っているのか一瞬分からなくなる。

「愛理さ、桃そんなに怒ってないから気にすることないよ。うちも一緒にいたげるし。多分梨沙子の話、聞いて欲しかっただけなんだと思う」

みやの言葉に私は少し落ち着いたけど私は「梨沙子」という名前にどうも納得できない。梨沙子と話ならさっきしたし、その時点で桃が私に言いたいことなんて何もないはずだ。

「愛理寒そう。どっかお店入ろ」

それでもみやは優しかった。

広い空の下で行き場所を失っていた私の手を握ってくれる。本当は一人なんかじゃないのに一人だと思ってしまう時がある。辛い状況なんかじゃないのにしんどいと思ってしまうときがある。それが今なのかもしれない。桃や梨沙子みたいに私の想定をはるかに超えてしまう存在を強く感じるときなおさらそう思った。

みやと喫茶店に入ってたわいもない話をして桃のこともすっかり忘れてしまった頃に桃は再び私達の前に現れた。

「愛理、梨沙子に会わなかったなんてひどいよ」

私の前に立つなり桃はそう言った。一瞬のことに私はなんて応えていいか分からず私はみやを見た。

「桃、愛理だって打ち合わせあったし。ちゃんと梨沙子には電話したみたいだよ」

「そうかもしれないけど。でも今日、差し入れ受け取ってほしかったっていうか」

みやから言われると一気に桃の勢いは落ちた。

「でもれでぃぱんさーのさ。全面的にやり変えようとって言ったの桃じゃん」

私は平然を装って言った。

「それはあたしも悪かった」

桃は怒ってるようだけど顔は白い。

「まあ桃、座ったら」

みやが自分の隣の席を促す。

「うん」

桃は素直に席に着いた。

「私はBuono!の打ち合わせの時は何時に終わるか分からないから梨沙子には会えないかもって言っといたのね。だから」

面倒でも私は桃にわかってもらおうと説明する。

「それは分かってる」

それでも桃はぶっきらぼうに顔の表情を崩そうとはしなかった。

「だから仕方なかったんだって。私、桃がれでぃぱんさーの言ってくれたこともうれしかったし」

私はせっかく妥協点を模索しているのに桃の顔はどんどん曇っていくように見えた。心なしかみやまで青白い顔をしている。てっきり私は梨沙子に連絡したことで全てが解決すると思い込んでいた。でも桃は全く納得がいかない顔をしている。私はもう呆れるというより困惑するしかない。

「でも、梨沙子はさ」

桃がまた梨沙子のことを言った。桃は自分の意見を主張しているのか、怒っているのか何かを不安がっているのかさっぱり私には分からなかった。

「だから梨沙子ならさっき電話で話したから大丈夫だって」

そう言ってしばらく私は桃と至近距離で見つめ合う。私は桃の目から真意を読み取ろうとしたけど桃の目尻は強すぎて私にはつかみきれない。

「桃」

そのときみやが一言だけ言う。みやも梨沙子のことだからおおっぴらに私に味方は出来ないんだろうと思う。でもこのときばかりは少し暴走ぎみの桃をもう少し抑えて欲しかった。そうでないと私も納得できない。

「分かった。愛理、ごめん。私が悪かった」

みやの言葉に勢いを消されたのか桃はうなだれて謝ってきた。

桃に謝られるとどうしも「許してにゃん」をやっている桃の姿が思い浮かぶ。この時ばかりはアイドルの桃とのあまりのギャップに、そしてそれを言わせてしまった自分自身に冷や汗が出た。

多分私が梨沙子と幼馴染みたいに親しくなければこんなことを桃も言ってこなかったんだろうと思う。桃が放つ「梨沙子」という言葉は「梨沙子は愛理の親友でしょ」という意味が暗に含まれている気がする。桃はそれを滲ませながら決して踏み込んでは来ない。

 確かに私には小さい頃からの大切な梨沙子との思い出がある。オーディションで出会ってすぐ仲良くなって二人でふざけてライブに出る度に手をつないでた。それは誰にも踏み込んで欲しくない私の大切な思い出だ。でもそれは私にも桃にもみやにも同じように梨沙子との思い出があって、それは誰にも侵せない大切な領域なんだと思う。私とBerryzのメンバーは確かに梨沙子との大事なテリトリーを自分の中に持っていた。ただし、一つだけ私とBerryzのメンバーが違うのは、Berryzの妹みたいにして育った梨沙子に対し私はそんな気持ちは抱いていない。梨沙子だってそうだろう。梨沙子はBerryzの妹として私はBuono!の妹のような存在で歌ってきた。その部分が私と梨沙子の立場を複雑にしているのかもしれない。

 結論のでない三人の話し合いが終わって私達は店の外へ出た。へとへとに疲れきってもう空を見上げる余力もなかった。前から冷たい風が吹き込んでわずかな服の間にも冷気が入ってくる。

「さむーい」

寒さが苦手なみやがそう言って体を縮こませた。桃は表情一つ変えずに風を切り裂くように先頭を歩いていく。風があまりにも強くて、あたりの街路樹や着ているレザーコートやかきあげられた髪の毛とあらゆるものに共鳴して鼓膜の近くでビタビタと恐ろしい音を響かせた。

「桃、こんな風強いのに寒くないの?」

風の音がうるさくて桃に聞こえたかどうかも分からなかった。桃が私を見て何かを言った。もしかしたら私が聞いたのは桃の口の動きだけだったかもしれない。

「今の愛理に風なんて吹かない」

でも確かに桃はそう言った。



 迎えに来てもらった帰りの車に乗ったとたん風の音は全くしなくなった。音がすっかりやむと急に景色が見たくなる。でも輝いている星も都会のビル群にまぎれてその姿を消してしまっていた。

 私は今日の楽しかったライブの感想をブログに書いていた。でもライブの後の話しのほうが重すぎて何だかブログに嘘を書いているような気分になる。ライブは大成功だったしファンのみんなに本当にありがとうと言いたい気持ちは確かなのだ。だけど桃のせいで後味が相当悪くなったことは否めない。桃とみやと私のライブ衣装の写真をアップしながら桃もあんなこと言ってこなきゃいいのにと私はつい桃への不満が口に出た。桃さえなにも言わなければ今日という日はライブの大成功にうちに平和に終わっていたのだ。

 桃は梨沙子のことを考えてあんなことを言ったのかもしれないけど梨沙子が何も言ってない以上完全に桃の暴走だ。それなのにみやはこういうときに限って桃の味方だし梨沙子はライブどころかさっき夜空の話をしてたっけ。これだけ天然のBerryzに囲まれていると私は何もできないと何か無力感みたいなのを感じてきてしまった。

車から見える外の風景が地元の町並みを映し出す。もうすぐ家に着く。すでに仕事モードの私から次第に力の抜けたオフモードに切り替わり始めた。アイドルから普通の女の子に変わる瞬間だ。戻れる場所があるから私は歌っていけるのかもしれない。

>>2話>>



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