1話
「ねえ、なっきぃって本当はどうゆう人?」
いきなりそう言われてあたしは困った。
「どういうって言われても」
「あんたって実はヘタレでも何でもないでしょ?」
「え、そうかな・・・」
自分でも自分のことがよく分からない。
「分かった。あんたキャラ作ってんでしょ?芸能人ってそういうの大変だよねー」
わかったような口ぶりで決め付けられる。
「そんなことないけど」
あたしは答えに困った。あたしが今ヘタレのなかさきちゃんかそうじゃないのかと聞かれたらもうそうじゃないのかもしれない。あたしは、五人で℃-uteというアイドルグループを組んでる。今、そのことがとても不思議に感じる。気がついたらアイドルになっていたなんて言ったら誰かに怒られそうだけど、それが今のあたしの正直な感覚だった。アイドルなんてそれこそアイドルに絶対なりたい!って強い意志をもって何度もオーディションを受けてなるものなんだと思う。でもあたしは情けないほどちゃんとした意思がないままここまで来てしまっていた。
「でもなっきぃって見た目は芸能人だけどさ。芸能人ぽくないよね」
「え?それってどーゆーこと?」
またよく分からないことを言われている。
「何かどこにでもいて気楽に会える感じ?他のアイドルだとそーはいかないじゃん」
「確かに」
目の前の友達の言葉にそう答えざるを得なかった。自分には何かそういうアイドルとか芸能人というオーラに欠けてるように思うときがある。というより、今から普通の人にもどって学生生活送ってくださいと言われたら普通に学校に通って、芸能人オーラなんて簡単に消しされる自信さえあった。
いやそんなもん最初からないのかもしれないけど。
「や、それってうちらが友達だからでしょ?なっきぃに会うために何百人も握手待ってる人だっているんだからね」
もう一人の友達が慌てて打ち消してくれる。
「でも、普通にコンビニとかでバイトしてても溶け込みそうじゃない?」
目の前の友人があたしを見て少し真剣に言う。
「そうかも」
これについても否定は出来なかった。きっと自分にとってもそれが自然なことなのかもしれない。
もしもこういう仕事をしてなくて、普通の学校生活送ってたらどんなのだったんだろうねと℃-uteで話すことがよくある。みんな夢を見るようなキラキラした目でそう言うけど、あたしはまあ同じようなもんでしょとしか思えない。確かにテストで苦手な頭をフル回転させることや、変な校則に悩むこともあるかもしれない。でもきっとそれは、十七歳とか十八歳とか年齢の延長線上にあることで、この狭い日本で今とは違う別世界が広がってるなんて到底思えなかった。
「ねえ、仕事仲間がアイドルってどんな感じ?やっぱり気使うでしょ」
「まあ付き合い長いからそんなこともないけど」
あたしは℃-uteのメンバーの顔を一つ一つ思い浮かべた。それこそ、十七歳と十八歳とか年齢の延長線上にない人たち。何万人の中から選ばれたメンバーには美少女ってだけでは片付けられない何かを持っているようにあたしには思える。
「みんなすごいからついていくのが大変」
あたしは少し遠い目をした。グループとしてやっている以上、自分の役割がある。歌もダンスのレベルも合わせていかなきゃいけない。それが分かってるから頑張って努力はする。けど中学の時はその努力の先が何も見えなくて怖くなる時があった。℃-uteやBerryzの他のメンバーを見てもみんなアイドルになりたくてここに来た。当たり前のことなのにそれがあたしにはあまりそういう意識がない。ぱっとある朝起きたら自分はもうアイドルだった。まさにそんな感じだ。
「なっきぃにはライバルっていないの?」
友達がそう訊いた。なかさきちゃん時代には自分に自信がなかったからかすごく負けず嫌いだった。でもあたしはもうすっかりと大人へと変わった。きっとあたしには他人に勝ってどうこうするより何か別の道があるような気がする。
「あの子には負けたくないってのがあたしにはあまりなくて」
あたしがそういう風に言うと友達が二人とも「分かる」って顔をした。
舞があんなにダンスできるのに。千聖がこんなに歌えるのにあたしヤバイ。Berryzがライブで歌っているのを見て焦る。そんなことばっかり思ってきた。
「でもあの子みたいになりたいって思う子はいるよ」
それはきっとあたしとは正反対で、五歳ですでに人と違う歌う仕事とか留学とかまで考えていた。負けず嫌いで向上心が人一倍強くて、ダンスも歌も天才的な人。
「誰?」
友達の問に応答するその一瞬の間に自然と顔が綻んだ。そして、合言葉にでも答えるかのように「鈴木愛理」と流れるように言っていた。
秋の陽光がとても眩しかった。あたしは目を細めながら日差しを遮るように手を額の上にやった。あたしの横を歩いている愛理はあたしよりも少し背が高い。
「もう秋だね」
愛理はそう言って片目を瞑る。まるでウィンクをしているように見える愛理の仕草はそれがそのままPV撮影のようにきれいな絵になる。愛理はここ最近一気に変化した。少し前は可愛らしくて元気な子だったのに今はもう可憐な美少女だ。落ち着いた表情は育ちのいいお金持ちのお嬢様にも見える。あたしはそんな「愛理の佇まい」がすごくうらやましかった。けどきっとそれは一つの壁を突き抜けた自信だとあたしは思う。そしてこの人はそんな静かな歌い手でもなかった。
舞台は一気にライブ会場に移動する。
「みんな!もっと声出して!」
愛理の声が会場中に響き渡る。
「まだまだ!もっともっといけるよ!」
怒声に近いような愛理の言葉でライブ会場のボルテージが最高潮に上がった。さっきまであれほど穏やかだった愛理が、今はまるで刃でも生えているみたいな激しい感情をむき出しにしていた。愛理が舞台に入り込む性格というのはよく分かっていたけど、こんなに火のような一面をもっていることにあたしは正直驚いた。
「まだまだ!もっと!」
ファンに三回目の声出しを叫んだところでスタッフさんから「これで終わり」の合図が出た。
「はは。盛り上がったねー」
ステージ裏にはけた愛理が汗をぬぐいながら軽やかにそう言った。さっきとは全然違う愛理の柔和な表情に一瞬同じ人間には思えないぐらいだった。何にせよライブは大成功だった。紅潮してふっくらした愛理の笑顔が眩しくて思わずあたしも同じ笑みを返した。
今回の℃-uteライブ、「ダンススペシャル!!超占イト」はとにかく最初からダンス・ダンス・ダンスだ。あたし達はとにかくそれまでバラバラになりかけていた心を一つに取り戻すように団結して踊った。
それまでのあたし達は一気にメンバーが二人も卒業してしまってどことなくぎくしゃくしていた。
リーダーの舞美ちゃんは相変わらず空回りしていたし、あたしは無駄に年上意識を持ってみんなに注意しまくりひたすら怖いと思われた。愛理はセンターで一人ばっかり目立つとどうしようもない非難をされ、千聖と舞は卒業していったメンバーに戻ってきて欲しいとそればかり言っていた。でもそんなあたし達だからこそ、「合わせる」ことに共通の価値観を持てた。Berryz工房だったらバラバラだったものを一つに合わせようとはきっと思わない。というよりバラバラのままでいいと思えるのがベリーズのいいところだと思う。でもあたし達はベリーズとの違いを意識し始めたことで変わり始めた。つまり強く団結し始めた。それがダンスと一緒になって一つの形に出来たのがこのライブだった。
ライブが終わって、ふと緊張が緩むと同時に今日のダンス、愛理とあたしどっちが勝っただろうと思う。
あたしと愛理はダンスでライバル関係と言われていた。愛理のダンスはしなやかで上品なのに激しい気持ちが内側から伝わってくる。歌の世界が表情にまで出せるのは誰にも真似ができない。そして何より愛理のダンスは高貴だ。あたしはダイナミックに動いて的確に動きを止めることしかできない。あたしが愛理に対抗できるとしたら楽しく踊っているということだろうか。それでもこんなあたしがダンスで愛理とライバルと言われるのはとてもうれしかった。
「愛理、最後のあれって煽りすぎじゃないの?」
みんなでライブの感想を言い合っているときに舞が愛理にぽつりとそう言った。
「あ、そう?そんな感じだった?」
今の愛理からはライブでの激しさなんてすっかり消えてしまっている。ぽかんとした表情でそう言った。
「それよりも舞ちゃん、早くケータリング行こうよ。なっきぃも一緒に。やじ先に行ってるみたいだよ」
急かすように愛理が言った。
「うん」
あたしもそう言って三人でケータリングに向かって歩く。
「ねえ、愛理って何も考えてないよね」
愛理にも聞こえるように舞があたしに言った。
「そうだねえ」
愛理の横顔を見ながらあたしは言う。
「何も悩みなさそうだもんね」
「うん。私ってあんまり深く考えない性質だから」
あっけらかんと愛理は答えた。愛理はエースとしての重圧もあるし、いちいち深く考えてたらやってられないというのもあるだろう。それに悩んで苦しんで歌ってますみたいな演歌歌手みたいなのよりも「今日も明るくはしゃいじゃいました」的なほうがアイドルとしてはいいのかもしれない。特に愛理はさっきのライブみたいに決めるときは、それこそ天才的な才能で歌もダンスもこなしてしまうのだから何の文句もつけようがない。
℃-uteは壁を乗り越えたし、あたしも変なプレッシャーを感じることもなくなった。愛理がこんなふうに何も考えずにいられるのも℃-uteがチームとしてうまくいってるからだとは思う。
「愛理、学校の方は?うまくいってるの?」
あたしは愛理の表情を伺うように言った。
「大丈夫。行けない日も多いけど学校の仲間もみんな優しいから」
愛理は顔を緩めて言った。
「そっか。でもあんまり友達と遊びに行ったりできないでしょ?」
「そうだけど。それはなっきぃも一緒でしょ?」
あたしがさも心配そうに言ったせいか愛理は不思議そうに答えた。
「あたしは、学校はそんなに関係ないし適当にしてるからさ」
「私だって適当だよ」
愛理は言った。確かに。とあっけらかんとした愛理の表情を見てあたしは思う。
「なっきぃ、そんなに愛理の心配しなくても大丈夫っしょ?」
舞に諭されるように言われた。確かに。愛理の心配ばかりしていられるほど自分の立場は甘くない。ダンスで少し自信がついただけで、歌唱力もほかのメンバーに比べるとまだまだだし、MCももっとうまくやれるようになりたい。ラジオを一人でやらせてもらったりチャンスだけはもらえてる。だから歯を食いしばってでも上り調子の℃-uteについていきたい。何より口には出さないけど青いペンライトがどのくらいいて、自分のファンは℃-uteで何番目なのか何より気になるのだ。ファンからの人気が圧倒的な愛理に対して嫉妬の気持ちがないわけでもない。
でも愛理に対する嫉妬なんて、あたしの中で一度として吹き溜まりのようにたまったことはなかった。愛理にはかなわないというあたしの後ろ向きな気持ちは、そのまま「鈴木愛理」という煌く星のような存在につながっている。そんな風に考えられる自分がうれしい。自分への皮肉のような変な感情はそれでもあたしにとって大切な心の奥底に秘めた気持ちでもあった。
舞ちゃん。千聖の呼ぶ声が聞こえて舞がケータリングの方へ走っていく。
「千聖、また太るよ」
舞の太い元気な声が周囲に響く。
「いいんだって。ライブでカロリー使ったから」
二人のきゃっきゃする声が聞こえて、あたしと愛理は目を合わせて笑った。
「なっきぃ、ありがとね」
舞がいなくなると、愛理は急にすました顔でそう言った。愛理の目は気取らない控えめな睫毛の下にいかにも意思の強い大きな瞳が真剣な眼差しを伝えてくる。愛理の瞳の力に耐え切れなくなって、あたしは思わず下向きに視線を外した。すると愛理の白い首筋から胸元がほんのり上気して明るい照明に反射しているのが見える。ライブが終わっていったん静まったあたしの鼓動が再び高鳴る。それは深い水底からせり上がる大きな空気の塊のように一気に立ち昇ってくるようだった。
それは抗うことのできない本能みたいな緊張だった。
「え?何が?」
あたしはさも何も見なかったような無邪気な顔をつくって言った。
「心配してくれて」
でも純粋な目であたしを見る愛理の方がよっぽど邪心がない。
「あ、あたしは勉強がどのくらい大変なのか分からないからさ。愛理の話し聞いて普通の学生生活ってどんなんか聞いてみたいかなと思って」
そのせいであたしは全く心の中にも思ってもないことを口走った。
「ああ、うん。でも私は学校でも地味な方だからね。なっきぃみたいにオシャレ出来る人は私の話しなんて参考になんないかも」
愛理は真面目な顔で答える。愛理は自分の顔にずっとコンプレックスがあると言ってたけど、改めて見るとどこにそれを感じる要素があるのだろうと思うぐらい愛理はすっきりと目鼻立ちの整った美少女だった。至近距離でもっと愛理の表情を確かめようと今度はまじまじと見すぎたせいで愛理としっかり目が合ってしまった。
「そうかな。アハハハ」
あたしはごまかすように笑っていた。そんなあたしを見て愛理もふにゃりと笑ってくれた。
こうしてずっと愛理に惹かれている自分から考えてもファンの人が愛理を好きな気持ちがよく分かる。愛理は神秘的で古風な美少女にも、今みたいに可愛らしくて愛嬌のある顔にも表情を何にでも変えられる。
愛理に見とれていると「中島、ちょっといいか」とマネージャーさんから呼ばれてしまった。何か注意されると一瞬びくついたが、マネージャーさんが大したことじゃないんだけどと再三言いながら前を歩くので本当に大したことじゃないんだろうと自分を落ち着かせた。
「鈴木のことなんだけど。ステージで熱くなりすぎるのをもう少しだけ抑えてもらえないか」
別室にはいるとマネージャーは「もう少しだけ」を強調して弱々しく苦笑いしながら言った。
「ファンの人煽りすぎるってことですか?」
「まあね」
「はあ・・・ってそれ愛理に直接言えばいいじゃないですか?」
あたしは何か嫌な役回りを直感して言った。
「いや、上から言って萎縮させたくない。今℃-uteはダンスパフォーマンスで一番勢いに乗ってるから。それを細かいこと言って落としたくないんだ」
「あたしから言ったって同じと思いますけど」
「中島は今鈴木と一緒にいる時間も多いみたいだし、それとなく伝えてくれよ。何となくでいいから。スマんけど頼む」
仕事として仕方ないのかもしれない。でも個人的に愛理に小言みたいなことを言うのはとても嫌だ。愛理にはもっとダンスや歌のパフォーマンスで意識されるようになりたいとあたしは思った。
「リーダーから伝えてもらったらいいんじゃないですか?」
あたしは舞美ちゃんを思い浮かべて言う。舞美ちゃんだって愛理と一緒の時間は多いし、仲もいい。℃-uteを引っ張っていく二人同士のほうが分かり合えることが多いかもしれない。それに舞美ちゃんは何といっても公式的にも℃-uteのリーダーなのだ。
「あいつも今は余計なこと考えずにまっすぐ走らせたほうがいいだろ」
ところがマネージャーは驚く程自信を込めてそう返してきた。あたしに同意を求めるような言い方はさも今の℃-uteのことは何でもわかってるぐらいの勢いだ。確かに今の舞美ちゃんはまっすぐに走ってる。メンバーに対して苦手な細かい注意なんて一切しないで、ダンスも歌も先頭に立って何も考えずに走ってる。今の舞美ちゃんはこの上なくカッコよかった。
「でも」
「じゃあ頼むな。まあ軽くでいいから」
結局断るのが苦手なあたしはそのままの流れで引き受けてしまった。確かに愛理はステージで歌うことに入り込みすぎて周囲が見えなくなることがある。
でもだからってあたし、愛理に嫌われたくない。
理不尽な指令を受けたあとであたしは一人不満を漏らした。愛理に何か注意して愛理の勢いを落として自分が少しでも愛理より上にいこうとしているなんて思われたら絶対いやだ。いや愛理は絶対そんなこと思わないだろうけどそういうことは一瞬でも感じて欲しくなかった。