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1話

「はぁ。」

藤本美貴は大きく息をため息をついた。 

例えば眩いだけの光は真昼間に放り出されたドラキュラさながらに場違いな不愉快さを感じさせることがある。それがじめじめ陰険とした人間でなくてもだ。その場が豪華絢爛で華やかであるわけではない。自分と同い年かそれ以下のあどけない少女の多いこの集まりでは、重層的な赴きなど醸し出せるはずもない。ただ若いだけの女子高的な明るさとどこか中世貴族の舞踏会を見ているような芝居がかった華やかさ−それら二つが入り混じってアンバランスな空気が周囲を席巻していた。

 モーニング娘。のあるメンバー、「後藤真希」は本日、見事にモーニング娘。としての最後のコンサートを終えた。これからハロープロジェクトのソロの歌手として娘。を巣立つ。テレビ局内の広めの一室を借り切って行われているこのパーティーはいわば後藤真希のための内輪のお祝いパーティーだった。すでに時刻は夜中の12時をすぎている。美貴の所属事務所、とは言ってもそのモーニング娘。も同じ事務所だが所属メンバーには夜9時以降は絶対に仕事をさせないというのが強い事務所の方針となっていた。だからこの真夜中にお祝いとは言ってもハロープロジェクトの全員が顔をそろえていることに違和感があった。さらに夕方には大泣きしていたらしい娘。のメンバーも夜中でテンションが上がっているのかさっきから叫び声をあげて騒ぎまくっている。

 「うーん。何だかノリについていけないなぁ。あたし今日、疲れてるのかな」

隣にいた亜弥が静かに言った。亜弥も雑誌の取材、撮影、新曲のレコーディングを終わらせてここに来ている。さすがに疲れているんだろう。目の下に隈みたいなものをつくっていた。内心ではあったが美貴も亜弥に賛同した。多分ノリのせいじゃないんだろうと美貴は思う。グループである彼女らとソロの自分達。その間に純然と存在している壁、それが後藤真希の卒業という一大イベントにあいまって恐ろしく強調されたものになっていた。美貴も亜弥もモーニング娘。から卒業するという意味合いを正確にはかりかねるものがあった。卒業したとして自分達の同じ状況となる真希に正直「おめでとう」以外の何の言葉をかけてよいのか分からなかった。しかし、モーニング娘。のメンバーは先ほどから喜怒哀楽の全てを発散させている。美貴は少なくとも唯一理解可能な感情として真希にお祝いの一言だけは言いたかった。ところが、十数名もいる娘。のメンバーに物理的にブロックされその場のテンションによって間接的に遮られて今まで一言も話す機会を得ない。

 「美貴ちゃん、あたしそろそろ帰ろうか。」

 「うん。もうそのほうがいいよ。あたしも帰るから。」

 亜弥は「あたしも」と答えた美貴に明らかな安堵を含んだ笑いを返した。

 「じゃ、行こう。本当はごっちんともうちょっと話したかったんだけどな。」

 実は一言だって話していない。美貴は亜弥の思いを代弁したつもりで言った。恐らく亜弥も同じことを考えていたに違いないのだ。

美貴はマネージャーにそろそろ帰ることを伝えた。事務所の方針がありながら遅い時間まで美貴達を残している不安と申し訳なさが胸のうちにあったのだろう。マネージャーはパーティー用の陽気な笑顔からすぐさっと仕事用の顔に切り替えると「はいはい。」と言って車の用意をしに部屋を出て行った。

美貴は中澤に一言だけ伝えると手提げバックとコートを取り、亜弥も同じように帰り支度が終わったのを確認して部屋から出て行こうとした。一応、真希を中心とするモーニングの集団に目をやったが、誰も美貴達に目を向けるものはいない。そのままドアを開いて出て行こうとした。その瞬間だった。

「まっつー?」

亜弥が誰かに呼び止められた。

「もう、帰んの?」

話しかけてきた相手は石川梨華だった。語調には早めに帰る亜弥へのわずかな非難の気持ちがこもっている。さっき真希のすぐ傍にいて自分達には目もくれなかったのにだ。

「あー。うん。明日早いし。」

亜弥は梨華を気にし、横にいる美貴にも気をかけていた。

「亜弥ちゃん。今日疲れてるみたいだからさ。ごめんね。」

美貴は言った。恩着せがましく思うつもりはさらさらない。だけどせっかく真希を祝おうとして夜中までいたのに、相手にもされず薄情だなんて思われることさらに理不尽な気がした。

「ふーん。じゃお疲れ。」

梨華は一度も美貴に目を合わせようとしなかった。

アプリコットとベビーブルー色の華やかなネオンの街並みを抜けて車は真夜中の高速を走り抜けていた。遅い時間であったためか少しだけそのネオンライトが大人色にぎらつく。隣には亜弥が寝ているのかさっきから目を閉じたままだ。ただ目をとじていると、亜弥はどこにでもいるあどけない普通の少女に見える。美貴は17歳で亜弥より2学年上だ。だけどデビューしてからのキャリアは圧倒的に亜弥の方が上だった。前はそれが気になっていたことがあった。知り合ったころにはすでに亜弥はアイドルとして輝いていた。自分と比較するものが亜弥しかいなくて、常にそれを意識していた。それが最近気にならなくなってきたのは自分にも自信がついてきたのだろうか。「ロマンティック浮かれモード」がオリコン初登場3位だった。たかだか一曲のヒットで天狗になるつもりは全くない。しかしそれは美貴に自信をつけさせて一つの要因ではあった。

「今日、疲れたねー。」

亜弥が言った。車の低いエンジン音に紛れて亜弥の声を少し薄く感じた。

「うん。ね。ごっちんを悪く思うつもりはないけどさ。あのモーニングのテンション、ちょっと厳しいかも。」

「そうかな。」

亜弥は肯定とも否定ともつかない返答をしてきた。

「あたし達って正直、ソロしかやったことないじゃん。夏のユニットの解散の時も正直涙ぼろぼろなんてないわけだし。」

美貴は亜弥の同意を求めるように言った。

「あれは、いつ終わったのか分かんないからね。気がついたらもう収録なくなってて。」

亜弥はくすくす笑った。亜弥の反応は以外だった。

「亜弥ちゃん、何がおかしいの?」

「ん?いやー楽しかったなって。夏のシャッフルユニット。」

美貴は話の腰を折られてすこし呆れたような顔で亜弥を見た。亜弥は後部座席シートにもたれかかって張り付くようにしていた。相当疲れているのだろう。美貴は本当は石川梨華のことが言いたかった。モーニング娘。のあの騒ぎようが分からない。梨華が亜弥が帰ろうとしたのを止めて非難の表情を見せたのも分からない。しかし梨華に対しては美貴の感情は一歩進んでいた。対抗心でもないライバル心でもない少しむっとくる感情。こういう感情って女の子同士がグループを組むと必ず誰かと誰かに起こるのだろう。元来グループでの行動を嫌い、さらにそういう感情も極力遠ざけてきた美貴だったが、梨華に対してはそんな意識を持たざるを得なかった。モーニング娘。と自分達の間にある壁、「石川梨華」はその象徴であるかのように感じる。

ふと気がつくと、亜弥はしばらく目をつむったままだ。亜弥の繊細な肌にいくつもの町の光の筋を通らせている。美貴はもう一度、梨華のことについて話そうとしたが、亜弥の安らかな寝姿をみて自分を自制した。

美貴は後部座席にもたれかかった。首をだらんと座席シートに預けると疲れがどっとでる。あたりの風景は闇となっていて光は点か筋でだかしか姿を現さない。車がレインボウブリッジにさしかかって天空にある光の橋が見えても美貴はずっと窓から見える夜に身をまかせていた。単調な車の音。単調な振動。美貴は目を閉じた。     

まぶたの裏で今日のパーティーの情景が思い出された。亜弥に不満そうに話しかけている梨華。ぶっちり切れていた記憶が意思をもって蘇生されてくるように感じた。梨華の後ろにいる少女が立っていた。その少女は帰りがけのあたし達のやり取りを不思議そうに見つめていた。モーニング娘。という壁の中にいて一言も話せなかった後藤真希。美貴は真希と話がしてみたいと思った。これまで全く機会がないわけではなかった。ハロプロが集まる仕事では彼女は必ず見かけた。モーニング娘。のセンターである。エースである。ラブマシーン。をヒットさせ、モーニング娘。をメジャーにした人物。勿論知っていた。でもそれは、テレビで見る「後藤真希」の域を出ないものであって実際美貴が真希の何を知っているわけでもなかった。美貴にとって真希は高校の大勢いる遠く離れたクラスの同級生みたいな存在だった。

真希は自分のことをどう考えているのだろうか。ソロの歌手をずっと希望していたらしい真希はデビューしてからずっとソロをやっている美貴をうらやむ気持ちをもっているのかもしれない。

そう考えたあと、美貴は急に首を振った。後藤真希だってモーニング娘。だ。自分や亜弥とはぜんぜん違ったことを考えているのかもしれない。モーニング娘。の考えていることは分からない。だから真希の考えていることも分からないかもしれない。

だけど美貴は真希をモーニング娘。からどうしても切り離して考えたかった。モーニング娘。は理解できなかったけどモーニング娘。を卒業して一人でやっていきたいという気持ちが唯一美貴には共感できるものだった。

もう一度目をつぶり、夢見心地になった美貴の脳裏に後藤真希の歌う姿が現れてはまた消えた。



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