男は豊かに蓄えた髭をなでながらゆっくりと椅子に腰掛けた。
あたりは暗い。椅子の方だけにわずかながら光があたっている。しかしながら男の表情はよく分からない。ただサングラスが墨汁のように光沢を放っていた。
 
男はまるで燕尾服のようなタキシードを着ていた。もかもかとした服装に足だけがすらっと伸びている。
足を組んだそのさまはまるでヨーロッパの王侯貴族だった。
男はつばをのみこむと波がうねるようのど仏が動く。そしておもむろに手をのばすと近くにあるスピーカーの電源をONにした。
 
クツ。
 
機械から電気の満たされた音が聞こえた。
閉ざされた空間なのだろう。わずかな音でも男の耳の奥までそれは聞こえてきた。
 
 
次に突如として歓声のような音が聞こえてくる。
と同時に雷が落ちたがごとく男の周囲はまばゆい光に包まれた。
 
 
ある程度広い部屋のようだ。
男の周囲には円を描くようにモーニング娘。を含むハロープロジェクトのメンバーがしりもちをついていた。めいめい今の状況が分かっていないようであたりを見回している。
 
「ごきげんよう。いや、お疲れ様と言ったほうがいいかな。諸君。」
 
男は笑うと口のあたりにだけしわが寄った。
ハロプロのメンバーは全員ハロプロスポーツフェタと同じ格好をしていた。いやまさに東京のスポーツフェスティバルが終わったばかりなのだ。
 
「どっから声が聞こえてくるの?誰?」
藤本美貴が最初に声をあげた。
 
「君達の近くにいる。」
 
男は言った。
「だけど残念ながら君達に聞こえるのは声だけだ。僕の姿を見ることはできない。」
男は顎鬚をふたたびさすりながら言った。
 
「ここはどこなんですか?あたし達をどうする気なんですか?」
その次に尋ねたのは矢口真里だった。
 
「ふふ。怖がることはない。ここはあなた方の心の中だよ。人間誰しも心の中に隠してある欲望や嫉妬がある。それを思う存分に解消できる空間、それがこの部屋なのだ。」
 
男はそこまで言うと満足そうに椅子のもたれかかった。そして用意してあったロゼッタワインのコルクを抜く。
 
「僕はそんな空間を君達に一時的に提供してあげているだけです。スポーツフェスティバルで十分体の方は使い切ったでしょう。後は心を癒せばいい。ほんの一時的なものではありますが。」
 
男は言いよどむとグラスに自分でワインを注いだ。赤色の透明な液体が美しくサングラスにも映る。
 
「ああそうそう。この中に僕が謝らなければいけない人がいる。後藤真希さん。いますよね。」
男がそばのスイッチを押すとサーチライトのような光がさっと後藤真希を照らした。
 
へっ?後藤真希が顔をこわばらせている。
 
「あなたの心の中を語る上で欠くべからず人物を僕は呼べなかった。市井紗弥香さんはこの場にはいない。それは言い訳のしようもない。僕のミスだ。」
男はさも申し訳なさそうに肩をすくめた。
 
え!?市井ちゃん?
市井ちゃん
市井ちゃん
市井ちゃん
後藤真希はその言葉を聞いた瞬間、力が抜けたようにだらっとなった。
「ちょっごっちん?大丈夫!」
すぐ隣には吉澤ひとみが座っている。後藤真希を心配そうに揺り動かしていた。
「よっすぃー。気安く触らないでよ。」
後藤真希の目はさっきとはうって変わり怪しく光り、誘うように口が半開きになっていた。それを見て吉澤ひとみはぎょっとなった。
「あたしと市井ちゃんの関係、疑ってあたしをずっと責めてたのはよっすぃーだったよね。自分だって好き勝手にやってたくせに。」
 後藤真希の視線はそのまま石川梨華へと注がれた。吉澤ひとみは唖然としたまま後藤真希を見つめている。
「よっすぃー。あたしとは適当に遊んで本命に梨華ちゃん選んで、あたしには市井ちゃんには会うなって言っていい立場よね。」
石川梨華はびっくりして後藤真希を見ると余計なことはしゃべるなとばかりに口に手をあてた。
 
 
 「いしよしごまか。」
 男はワインを飲み干した。
 「いしよしヴァーサスごまかよしごまヴァーサスいしは、よくあったパターンだ。基本的には王道だな。」
 
 「ごっちん。あれだけ口止めしといたのに。いいよ。別にあたしもしゃべるから。ごっちん何だかんだ言ってあたしとも関係してたじゃない?美貴ちゃんともねぇ。」
 石川梨華の言葉に後藤真希は顔を真っ赤にして怒った。
 「あれはあたしが梨華ちゃんと関係もてばよっすぃ返してくれるって言ったからじゃん。だけどあたしとさんざん遊んどいて、よっすぃーはやっぱあたしのもの。って言ったよね。嘘つき!卑怯者!」
 吉澤ひとみはもう止めることもできずに体の大の字に開いてねっころがった。
 「あの〜。ちょっといいですか?」
 松浦亜弥は遠慮がちに話し始めた。
 「後藤さんが美貴ちゃんともねってどういうことなんですか?」
 「亜弥ちゃん。違うんだって。」
 藤本美貴の発言は少し遅すぎた。
 「何が違うの!?」
 松浦亜弥の突然の勢いに藤本美貴は明かりが見えないところまでふっとばされた。
 
「基本的にはあやみきはそんな感じだ。まだまだいろんなパターンはあるがね。」
男はまたワインをグラスに注ぎ始めている。ゆっくりとグラスを回すとまるで生き物のように液体が動いた。
 
 「ごっつぁん。そんな誰でもいいみたいなことやってたら駄目べさ。」
安倍なつみはずっと後藤真希を見ていた。それを男が見逃すはずはない。その光景を見てふふんと鼻から息をもらした。
 「うるさい。なっちは黙っててよ。」
 興奮した後藤真希は安倍なつみに耳を貸さない。
 「ほら、紺野だってがっかりしてるべさ。」
 その時、男の周りを囲んでいたサーチライトの光の一つがぐるっと方向を変えて紺野あさみを写した。
 「あたしにとって後藤さんは憧れの存在ですから。何をやってたっていいんです。」
 紺野あさみは表情を変えなかった。
 
「えらい。こんごまはやはりそうでなくちゃいかん。なちごまの底力はこの程度ではあるまい。強いものは時間がたっても強い。いずれ盛り返すだろう。」
男は隅で言い争いを逃れてこそこそと話をしている石川梨華と吉澤ひとみを見て言った。
 
 「まだまだ見ないといかん。しかし5期も6期もある。それにも着目せねばならんだろう。」
 男は少し咳き込んだ。
 5期のメンバーは紺野あさみの近くに集まってきた。男はサーチライトをそこに固定する。小川真琴が紺野あさみに話しかけそれからしばらくこそこそ話をしているように見えた。男は何を話しているのか興味深そうに耳をかたむける。そこで高橋愛と新垣理沙は少しつまらなそうにやがてライトの外に消えていった。
  
 「うむ。問題点もある。これからが正念場だ。正念場・・・」
 男はそういうとまたライトを動かした。
 心なしか手が震えている。
 田中れいなと道重さゆみと亀井絵里が映った。まるでお互いを守るように3人は固まっていた。
 
 「君達がいずれ6期だけでかたまらなくなったら新たな物語が生まれるだろう。しかし今のままでも十二分に貢献はしてきたことに感謝したい。」
 
 言い終わると突然男が激しく咳き込んだ。
「オホオホ!!ゲ!ウフ!」
口を抑えようとしてグラスを持っていられない。ワイングラスが男の手を離れた。そしてグラスの口の部分が砕けそして柄が折れた。
 
ピー。
機械音が鳴っている。喉につながれたチューブが男に不快感を呼び覚ました。
「はい。今痰をとってますからね〜。」
看護婦の声が聞こえる。
男が振り向くとまるで天使のようににこやかな笑顔をしてそいつが金属の棒を男の喉につっこむのが見えた。
「うっごホ!」
さっきと同じ不快感と苦しさが男を襲う。これが夢から現実に引っ張りもどした元凶だった。
男は肺に転移した腫瘍のため呼吸困難で喉に穴をあけた。自力で呼吸することができないため酸素を直接肺に送るためだ。それ以来声を発することはできない。
 
 男は前の夢の世界に戻ろうと目を閉じた。
 「っち。眠ってる間にすましてしまおうと思ってたのに。」
 さっきの看護婦の声が聞こえる。多分男の意識はもうないと思っているのだろう。
 「とりにくいからなー。起きてると。」
 主治医の館山もいるようだ。ろくな医者じゃない。検診のときに体の向きがかえられないでいるとおもいっきり体をしばかれた。
 「この患者、おかしいのよ。」
 「何が?」
 「前の病室でモーニング娘。のポスター貼りまくっててね。」
 「ファンなんだろ。」
 医者は興味がないといわんばかりに答えた。
 「だからこの患者の口がまだ聞けるときにね。あまりにもモーニング娘。が好きそうだったからモーニング娘。さんの誰と結婚したいですか?って聞いた看護婦がいるのよ。」
 「で何だって?」
 「そしたらすごい剣幕で手を振って。とんでもない。この人たちにはもう決まった人がいるのだからってすごい勢いで否定したらしいのよ。」
 「はぁん。謙虚というか身分をわきまえたというか、そんな奇特なファンもいるもんだな。ま、そんな話どうでもいいよ。腹ヘッタ。昼飯でも食いにいくか?」
 グエウホゴホ!また男が咳き込んだ。
 医者はうるさそうに耳に手をつっこんだ。早く部屋の外へ出ようと看護婦を手招きしている。
 「食堂の新メニュー、天丼が出たんだよ。」
 「あら、いいわね。」
 看護婦が答える。
 二人は男の咳き込みから逃げるように足早に病室を出て行った。
 男は痰血が胃にはいっていくのと病院の食堂で食べた極上にまずいかきあげ丼を思い出して吐き気を催した。 
ロゼッタストーン
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