ハッピーバースデイ






 姉が家にいない誕生日なんて初めてだった。そのおかげで滅多に出ない都会に僕はでなきゃいけなかった。都会(というか東京)が大好きな姉はもうずっとそこに住みつづけたらいいんだろうと思う。けど、都会なんてうるさくて僕には頭がずきずきしそうだ。でも誕生日のプレゼントぐらいはせめて手渡しで渡したいと思う。だからせめて自分の誕生日ぐらいは家に帰ってきて欲しいと電話したのに・・・。
「ヒロキ、逆にいっぺんあたしん家来てみたら。勿論プレゼント持ってだけど。」
「え〜。お姉ちゃん帰ってきたらいいじゃん。」
「それがさぁ、こっちもいろいろとあってさぁ。」
いろいろととか芸能界や娘。関係の人を姉が話すとき、僕はいつもある人を思い浮かべてしまう。その人との出会いは僕にとってある意味トラウマになっていた。
その人が初めて家に来たのも姉の誕生日の日だった。
その日、姉はその人が来るのを玄関先の階段でずっと待っていた。その時の姉は少し普通じゃなかった。目は玄関先一点を見つめたままで、時おり膝をがくがくとさせたり爪をくやしそうに噛んだり、とにかくいつも姉じゃない。僕は、直感的に普通の学校の友達が来るわけじゃない。何か得たいの知れないものがやってきて姉を壊してしまうんじゃないかって思えてとても恐かった。
「よっすぃ〜いますかぁ?」
確かその人は、玄関に入るなりでそう言った。やたらスタイルがいいだけで風貌も格好も姉と同い年ぐらいの普通の女の子。姉が待っていたのは拍子抜けするぐらい何ともない女友達だった。
でも不思議なことに姉とその人は、姉の部屋に入ったっきりずっと出てこなかった。いつもだったら楽しそうな笑い声とか話し声が聞こえるはずなのに物音一つしない。そんなことは初めてのことだ。もしかしたら二人とも寝てるのかもしれない。僕は何となくそう思っていたけど、隣の部屋で何が行われているのか気になってしょうがなかった。
3時間ぐらい経って、もう時間は夕方の7時ぐらいになってたと思う。突然、どたんという物が倒れる音がして僕ははっとした。がたん。次第、その音が連続して聞こえ始める。僕は、驚いてそっと壁に耳をつけた。突如として物音に叫び声が混ざった。姉の声じゃない。
「よっすぃー!やめて!」
叫び声はそう聞こえた。そして音はますます大きくなった。人を押し倒してまた叩きつけてる。明らかに隣の部屋の騒音は取っ組み合いでもしている音だ。正義感の強い姉が女友達に暴力をふるうなんてことはありえないはずだった。何が起こってんのか分からない。だけど止めなきゃ。僕は、そう思って姉の部屋に急いだ。
「お姉ちゃん!」そう言いながらドアノブに手をあてて思いっきり開く。中にあった光景は僕が想像もしていないものだった。部屋の中は暴れていたせいか物が散乱していた。その中に、その人のものらしい下着と衣服が無造作に下にばらけている。そのそばで姉が恐ろしい形相で突っ立っていた。
「ヒロキ!勝手に開けんなっつっただろ!」
今までの姉の中であの時が一番怖かった。目がウサギの目のように充血して真っ赤になっていた。腕の先の握りこぶしが全身にものすごい力を張り巡らせていることを無言で伝えている。僕は、あまりの怖さにすぐドアを閉めようとした。その時、一瞬ベッドの上でシーツで体を包んでいるその人の姿が見えた。その人は唖然としているようだったけど、僕と目が遭ったときだけ微笑んだんだ。その微笑は何を意味していたのか僕には分からない。その事件の後、その人が「後藤真希」っていうモーニング娘。で人気NO1のアイドルだっていうことと姉と後藤真希の関係が普通じゃないということを悟った。
 
電車の乗り換えの合間、姉に電話をかけた。また通じない。これから行くっていうメールも出したのに姉の応答はなかった。おかしい。メール好きの姉は、すぐに返信してくれるはずなのに。ただ東京だっていうだけで心細くなっている僕は、また駅の改札口からの乗換えの電車を不安そうに探した。
僕は、姉とは仲の良い兄弟だった。近所でよくやってるバザーに一緒に行ったりもしたし、買い物も一緒に行くこともあった。姉は男っぽくてさばさばしてる割には我が強くない。自分の意見を押し通そうともしない。僕は、姉のそんなところが好きだった。
あの事件の後、姉は何十枚ものポラロイド写真とポスターを買いあさり始めた。それは全部後藤真希のものだった。仲間である後藤真希を応援するためっていうわけでは絶対にない。海賊版や違法に撮られた写真まで大量に姉は買っていたから。姉がそうなってしまってから僕は姉の部屋には一歩たりとも入ることを許されなくなった。
でも僕は、そんな姉の部屋を一度だけ見てしまったときがある。その時、姉の部屋のドアはわずかに開いていてドアの隙間から細長い光の棒が誘うように伸びていた。僕は通り過ぎようとしたのに、無意識に中を覗いてしまった。その瞬間、無数の目がこっちを見たような気がした。隙間なく貼られている後藤真希の水着姿。微かに微笑んでいる彼女とその姿を映すポスターは、僕みたいな普通のファンが集めていればむしろ健全だと思う。でも「モーニング娘。」の仲間の一人である吉澤ひとみが数限りなく後藤真希の写真をもっていることは、ひどく不健全で異様なことに僕は思えた。でも姉がそうなってしまってからも僕は姉のことを慕っていたしずっと好きだった。
 
姉のマンションの近くまでようやくついて、また姉に電話をかけた。また通じない。今日行くってことだけは伝えてある。多分大丈夫だと思って僕はそのまま姉の部屋に向かった。方向音痴の僕だったけど、何故かその日姉のマンションへは一回も迷うこともなく辿り着いてしまった。
「もしかしたらいないかもしれない。」
部屋の前で待たされる最悪の展開を予想しながらも僕はインターフォンを押した。応答もなくガチャリとドアが開いた。
出たのは姉じゃない。後藤真希だった。僕の中に何かが働いて思わず後ずさりした。
「ヒロキ君だよね。待ってたよ。」
真希は、用意していたかのようなフレイズを口にする。僕を待っているはずなのは姉のひとみであって真希ではない。でも姉と後藤真希の関係を考えたらこういうことも十分にありえたことだった。
「何やってんの?入りなよ。」
中へ促す真希の声に僕は躊躇した。
「お姉ちゃんは?」
「あぁ、今ちょっと出かけてる。」
「どこに?」
「さぁ・・。」
「・・・」
僕は、無言になった。ここは姉の部屋じゃないかもしれない。姉はこんなとこに住んでなくて全て目の前の人、後藤真希に騙されてるんじゃないか。そんな気さえした。
「大丈夫だよ。取って食べたりしないんだから。さ、入って。」
真希が、僕の腕を強引に掴んで中へ導いていった。されるがままに僕は廊下を歩く。戻れないほど長い廊下だった。リビングは出口から一番遠い奥にあった。
「さぁ、座ってて。」
真希は、テーブルに3つ置いてある一番奥の椅子をひいた。僕は、真希の言うとおりに椅子に座るとあたりを見まわした。ウサギのガラスの置物や油絵がきれいに飾ってある。直感的に姉の趣味じゃないと思った。僕の不安な気持ちはますます増幅していった。
「ミルクココアでいいよね。外ちょっと寒かっただろうし。」
しばらく冷蔵庫をあさっていた真希は僕の方を振り返って言った。
「いい?それで。」
「うん。」
伺うような大きな目とその視線にどきりとした。初めて、僕が姉以外のアイドルと話をしてることを認識した。
「ねぇ、その袋何はいってんの?」
真希が僕が大事に袋を抱えているのを見て言った。この手提げ袋には姉へ両親の分と僕からの誕生プレゼントが入っている。だから今日、家を出る時から今まで片時も離さずもってきたのだ。でも真希は、そんなことお構いなしに急に袋に手を伸ばそうとした。だから僕はぎゅっと袋の口を閉じた。
「プレゼントだよ。お姉ちゃんの。」
僕は必死になって言った。
「そっか〜。今日よっすぃー誕生日だもんね。で、ヒロキ君は何プレゼントするの?教えてよ。」
「いいじゃん。何でも。」
僕は、袋をしっかり持ったまま真希に背を向けて言った。
「ふーん。だったら実力行使だな。」
真希は突然、後ろから僕に手を伸ばすと袋を奪い取ろうとした。
「わ、わぁ!いやだ!」
僕は、驚いて抵抗した。きゃははと笑って真希は、僕を後ろから抱きかかえるようにして脇をくすぐり始める。真希の力は強くてその間にも何度も袋をもぎとられそうになった。
「もう帰る!」
僕はドアに向かって逃げ出そうとした。
「ダーメ。」
真希は、僕の後から猛ダッシュしてくるとドアを閉めて言った。さらに両手を開いて通せんぼの格好をした。口元が不気味に緩んで僕を見下ろすようにしている。それを見て何だか僕は絶望的な気分になった。「お姉ちゃん、早く帰ってきてよ。」そう叫びたくなった。
「じゃあさ、あたしの出すクイズに答えられたら帰してもいいよ。」
「何?」
「じゃあクイズ出すから椅子に戻って。早く飲まないとココア冷めちゃうよ〜。」
真希は、ふにゃっと笑いながら言った。
「よっすぃーは今、本当はどこにいて何をしているのでしょう?
1.      近くのコンビニ
2.      仕事
3.      本当はここにいるけどあたしがどっかに隠してしまった。
さあ、どれ?」
 「隠すってどういうこと?」
 僕は、最後の3がひっかかった。。
 「ん?殺してどこかへ隠してある。とかさ。」
 真希は、また微笑を浮かべた。びくっと体が動いた。背中がぞくぞくして悪寒が走った。1年前と同じ表情だ。あのシーツに包まれながら僕に笑いかけた表情。
 「ふん。そんなこと出来ないくせに。どーせプレゼントだってお姉ちゃんに何買ったらいいのか分からないから聞きたいんだよ。」
 とにかく僕は、自分を落ち着かせるためにそう言った。
 「んー。ちょっと違うな〜。」
 「よっすぃーって自分が欲しいもん直接あたしには言ってくるからさ。どんな無理なことでもね。だって、去年なんか無理やりあたしをプレゼントにしようとしたし。」
 僕は、意味がよく分からなかった。
 「どういうこと?」
 「んー。まあつまりあたしはひどいことされたってことかな。だから今日はヒロキ君にその償いをしてもらおうかな。」
真希は、口を開いて特徴的な笑いをした。歯を食いしばるようにして笑顔を見せる。この人はいつもこんな笑い方をする。テレビでもそうだった。
「だってお姉ちゃんがしたことって弟にも責任あるからね。ヒロキ君はあたしに何か罪の償いをしなくちゃいけないと思うんだよね。でもクイズに答えられたら許して家に帰してあげる。」
 「クイズ!?昨年の姉の誕生日!弟の僕にも責任!そして罪の償い!」
 僕は、頭がくらくらとした。あの時の情景を思い出してしまった。シーツに包まって微笑している真希。そのそばで真っ赤に腫らした目でこっちを睨んできたひとみ。手が震えてココアの味なんて分からなくなった。
 「答え、間違ったら今日は帰れなくなると思うけどいいよね。いっちょう料理させてもらうよ。さあ、答えは何?」
 目の前で真希は、ずっと意地悪そうに笑っていた。
 「どうしよう。どうしよう。助けてよ。お姉ちゃん。」
僕は、うつむいてひたすら耐えていた。まるで絞首刑台に登る順番待ちをしているみたいだ。
 
ガチャ!玄関があく音がした。
「ただいま〜。ヒロキ来てる〜?携帯電池切れててごめんよ〜。」
間の抜けた場違いな姉の声が聞こえた。
「あ、よっすぃーおかえり!というわけで正解は1番でした〜。」
そう言うと、真希は玄関に一目散に走っていった。さっきまでの表情とはがらりと変えて健康そうで弾けるような笑顔だ。
「ヒロキ〜。お前ミルクシャーベット好きだから、わざわざ買ってきたよ〜。食べな。」
姉は、僕の大好物を目の前に見せて言った。
「そんなもんあげていいの?まだ寒い季節なのにお腹壊さないかな。あたしはあったかいミルクココアあげといたよ。」
真希は、姉と僕を交互に見て言った。二人はお互いの顔を見て満足そうに笑い合っている。
「大丈夫だって。この子、うちに似て丈夫だから。それよりごっちん料理は?」
「あ、さっき下準備終わったとこ。あたしの創作料理、ヒロキ君にも実験台になって欲しいってさっき話してたんだ。」
「いいんじゃない?親にはあたしから連絡しとく。」
マシンガンのように二人は話す。さっきの僕からはその会話は信じられなかった。僕の緊迫した心は一気に氷解する。肩の力が抜けて体がずるっと椅子からずれた。
「ごっめんね。さっきは。よっすぃー、いっつも可愛い弟がいるんだ!って楽しそうに話すからさ。ちょっとからかってみたかったんだ。」
真希は、こっちが緊張して話せなくなるぐらいにまで顔を近づけて言った。
「償いって料理食べろってこと?真希ちゃんの?」
「そうだよ。口にあえばだけどね。」
真希は、僕をみてうれしそうに答えた。さっきまでの笑顔とおなじはずなのに何故だか優しくて暖かだった。
「もう何だよ〜!償いっていうから何かさせられると思った。」
「何もしないよ。大事なよっすぃーの弟なんだから。」
真希はそう言って後ろから手を僕の両肩に置いた。
「何?償いって?」
姉は、不思議そうに僕たちに聞いてきた。
「内緒〜。二人だけの秘密だもん。ね、ヒロキ。」
真希は僕の頭を撫でながら言った。
「ちぇっ。何だよ。感じ悪いな。わざわざヒロキのために家空けんじゃかった。」
姉は不服そうに言った。
ハッピーバースデイひと姉ちゃん。僕は心の中で言った。姉、吉澤ひとみの最高の誕生日が始まろうとしていた。
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