My Fabulous Girl

Easestone作



2002年9月23日、ずっとあたし達の仲間だった、そして可愛い妹のような先輩、後藤真希が、モーニング娘。を卒業した。彼女ほど激しくて、時に気高くて、穏やかな女の子にあたしは今まで会ったことがなかった。

「梨華ちゃん。」

彼女は、最初に会った時からあたしをそう呼ぶ。真希が、あたしを呼ぶとき、モーニングの先輩として、年下の妹のような存在として、それこそ変幻自在の表情をあたしに見せた。ダンスレッスンの時、あたしが踊れなくて困っていたらさりげなく横から教えてくれた。かと思ったら、真希が教育係をやっていた加護亜依の面倒をあたしに押し付けて、楽屋で自由奔放にはしゃぎ回っている。そんな時の真希は、あたしにとってはただの可愛い妹だった。そしてあたしがモーニングに慣れるにつれ真希の妹である割合はどんどん大きくなっていた。あたしは、そんな真希の計算し尽くされた魅力に、はまり込んでいた。

ただ、あたしと真希との間には、当時はものすごい距離を感じていた。モーニングに入った頃、大スターだった真希と自分を見比べてそう感じただけじゃない。彼女が放つ、独特な雰囲気と時間の流れにあたしは、最初ついていけなかったのだ。でもそれは、ほんの一時にすぎなかった。

あたし達4期メンバーが、モーニングに入ってから真希は大恋愛をした。それもあたしと同じ4期メンの「吉澤ひとみ」に。あたしは、同期で唯一年が近いひとみをものすごく頼りにしていた。だから、ひとみに猛烈な恋をしていた真希とは奇妙な三角関係ができてしまっていた。だからあたしは、否応もなく真希の激しい恋と感情の嵐に巻き込まれてしまったのだ。

「ね、梨華ちゃん。よしこのことなんだけどさ。明日のオフとか暇なのかな?」

真希は、そういうことになるとことさら遠慮深げに言う。一緒に買い物行こうとか料理一緒につくるだのそういう話はあっけらかんと言ってくるくせに、こういう話題になるとからっきし苦手のようだった。それでも、ひとみのことは、いつもひとみと一緒にいて一番仲の良いあたしに聞かざるを得ない。真希にとっては恋敵かもしれない相手に、こんなことを聞くのは、相当嫌だったに違いない。その時あたしはひとみを人質にして、真希との間をつなぎとめていたような気がする。ただ真希が、ひとみと休日どこかへ遊びに行こうともたとえ、つきあうことになったとしても大して気にはならなかった。ただ、時おり見せる真希の激しい内面の感情に無性に向き会い続けていたかった。

「あたし、卒業したくないよぉ。」

卒業が決まった頃、真希があたしの部屋で震えるように言った。

「何言ってんの?ソロで歌うの、夢だったでしょ?あたしにもそう言ってたじゃない?」

卒業が決まって以来真希は、そのことばかりであたしは少しうんざりしていた。真希は、そんな愚痴をあたし以外の誰かにもらしているのを聞いたことはない。勿論ひとみにはそんな弱気な部分は、絶対に見せていないに違いない。それが、真希の一番の長所でもあったし短所でもあった。真希は不器用なのだ。あたしを除く全員に対して。

「ソロになったって、よしこと離れるだけじゃん。あたしこんなによしこのことが好きなのに。それどころかさ、よしこはあたしがソロになれて良かったみたいなことも言ってくるんだよ。」

「それはね。照れてるだけだって。」

あたしは、そう答えるしかなかった。普通に考えれば夫婦喧嘩は犬も食わない程度のことだと思う。そもそも卒業といったって、それはあくまでお仕事のモーニング娘。を卒業するだけだ。家が変わるわけでもない。どこか遠い地方に行くわけでもない。プライベートは何ら変わらないのだ。あたしは、高校や中学を卒業するなんかよりよっぽどその意味合いは薄いと思っていた。ただ当の真希の頭のなかには、全くそんな思考はなかったらしい。

真希の卒業が1週間前に迫ったある日の夜、ひとみがすごい剣幕で電話をかけてきた。コンサート疲れでうとうととしていたあたしは、何かひとみに悪いことでもしたと思って思わず謝ってしまった。

「違うんだって。そうじゃなくってごっちんのこと!」

ひとみは、憔悴しきっている。

「ごっちんがどうかした?」

「それが、一緒に駆け落ちしようって言うんだよ。」

あたしは、思わず笑ってしまった。もうそんな冗談、今さら電話でしなくても二人があつあつなのは分かるからって言ってやった。

「ごっちん本気なんだって!それにもうごっちん伊豆の旅館にいるからうちに迎えに来てって言うんだよ。」

伊豆か。また渋いところ選ぶなとあたしは思った。でも駆け落ちというんだからやっぱそういう場所の方があっているのかもという悠長な思考が頭に浮かぶ。それはやっぱり「ごっちんならやりかねない」っていうのが、もうあたしの中にあったからだと思う。ひとみに対する真希の伝えられない恋愛感情の鬱憤は、あたしが一手に引き受けてきたのだ。ひとみは、真希のものすごく巨大な、そして深い煩悩の固まりのようなもの一部を見てきたにすぎない。

「とにかく、今からあたしと一緒に伊豆まできてよ。あたし一人じゃ連れ戻せない。」

ひとみはあたしにそう懇願した。もしひとみを一人で伊豆に行かせたら、多分二人とももう戻ってこないと思った。真希には人を惑わせる不思議な魔力がある。あたしが一番その力に翻弄されつづけてきたのだ。もし、純粋でピュア一直線なひとみがその魔力に嵌ったら一生抜け出せないだろう。それであたしは、一緒に伊豆へ行くことにした。

真希が泊まっている旅館は、意外に簡単に見つかった。海の側の切り立った崖の上にそのこじんまりとした旅館は立っていた。ただ、困ったことにあたし達が着いた時には、もうその旅館は完全に寝静まっていて中に入れそうもなかったのだ。

「ごっちん。今梨華ちゃんと一緒に旅館の下にいる。駆け落ちなんかしなくてもあたし達はずっと一緒だからさ。ね、だから帰ろ?」

ひとみが、真希に電話していた。夜の澄んだ空気にひとみの声だけがのっかっていた。あまりに静かな海辺だった。近くには旅館の明りしかなかった。

「いやだ。このままあたし卒業したら、もうよしことは一緒にいれなくなっちゃう。」

真希の携帯からの声があたしにも鮮明に聞こえた。

「大体、何で梨華ちゃんがいるわけ?よしこ、あたしを迎えにきたんじゃないの?梨華ちゃんまできたら、あたし一人で馬鹿なことしてるみたいじゃない・・・」

ひとみは、困ったように真希の応酬を受けていた。あたしにはやたら電話から梨華、梨華と聞こえた。あたしには分かっていた。真希が、話の中にあたしを無理やり混ぜる時は、決まってあたしに何かして欲しいときだ。

「ちょっとあたしからごっちんに電話してみる。」

あたしは、ひとみに言った。

「今、梨華ちゃんが電話しても出ないと思うよ。ごっちん、梨華ちゃんが来たことすごい気に入らないみたいでさ。ごめん。無理言って連れてきたのに・・・。」

「いいって。気にしなくても。」

あたしは、そう答えてひとみが聞こえない岩の後ろまで移動すると真希に電話をかけた。案の定、真希はすぐに電話に出た。

「もしもし、梨華ちゃん。今よしこ、この電話聞いてる?」

「いや、聞いてないよ。」

あたしが、そう言うと真希は急に情けない声で言い出した。

「どーしよ・・。こんなことしてもよしこ困らせるだけだよね。でも、あたしこのままで卒業するのすごい嫌だったんだ。このままじゃ自然に、よしこからはなれちゃうって思ったらもう駆け落ちするしか思い浮かばなくて・・・。あたし、どうしたらいいんだろ。」

「分かってるって。あたし何とかしてみるよ。あたしは、ずっとごっちんの味方だから。」

「ありがと。梨華ちゃん・・・。」

真希にこの声で話されるとどうもあたしは、弱い。今となっては、頼れる先輩だった真希が何だか懐かしく思えた。

「あたし、本当によしことどっか遠いとこまで行きたいよ・・・。」

真希が、寂しそうな声で言った。

ひとみと二人の逃避行、させてあげたい。本当に真希がそう願ってるのならそうさせてやりたい。仕事になんか振り回される必要なんてないんだ。

「梨華ちゃん。ごっちんと話してる?何だって?」

あたしは、ひとみの声でやっと我に帰った。

「あ、うん・・・。」

思わずあたしは、携帯をひとみに渡してしまった。でもそれが、全ての間違いの元だった。

「あたしに気持ちがないから、一緒に東京帰ろうなんて言うんでしょ。よしこは、あたしのことなんてどうだっていいんだよ!」

「そんなこと絶対ありえない!うちだっていつもごっちんのそばにいたいよ!」

「じゃ、そばに来れるもんなら来ればいいじゃない!もし来れないんだったらあたしもう仕事やめる!」

案の定二人は激しい応酬を繰り返した。真希は、恋に対してあまりにも不器用で激しかった。多分、ひとみは真希がそんな激しさを内面に抱えていたなんて知らなかったのかもしれない。

「あたし、今ごっちんに会うしかない。」

ひとみは簡単そうに言った。しかし夜も遅くてあたし達が、無理やり旅館の人たたき起こすと大騒ぎになりかねなかった。

「崖を登る。」

ひとみの言葉にあたしは耳を疑った。旅館までの崖は、どう考えても人が登れるようになっているはずがない。いや、というより絶対に不可能だ!

「無理だよ!こんな崖登るなんて!それにごっちんがどの部屋にいるのかも分からないんだよ。」

「いや、ごっちんは絶対にあそこにいるよ。」

ひとみは、唯一電灯のついている部屋を指差した。真っ暗な旅館の中で唯一煌々と明りがついている部屋があった。その時なぜかあたしは、その部屋であの大きな目を潤ませてる真希が、頭に浮かんだ。真希は、独りで今も苦しみ悩みつづけてる。そう思ったら可哀相で心配であたしもひとみについていこうと思った。つまり、それは崖を登ることを意味する。

普通だったら冷静で沈着で、血液型もA型で、しかもしっかり者?であるあたしがそんな突飛な提案を受け入れるはずがない。だけどその時はあたしは、気がついたら崖を登ってた。

「梨華ちゃん!そこ気をつけて!すべるから!」

上からひとみの声が聞こえた。ズル。足元が微妙に滑る。その崖は岩ではなく塩で濡れた泥土でできていた。角度はそんなに急じゃなかった。だけど濡れた土のおかげで頭から足まで、服もお気に入りのスカートも何もかも泥だらけになった。それは、少し前を行くひとみも全く同じだったけど、今のひとみには、そんなことは全然気にならないようだった。3歩進んでは滑ってもとに戻る。今更だけどこの崖登るの無理だ。旅館の明りのついた部屋が遠く遠く感じられた。まさに生き地獄だと思った。

どのぐらい時間がたっただろうか。あたし達は、まだ崖を登っていた。泥をつかんでは芋虫のように体全体を使って這い上がる。顔についた土をぬぐい、時々口に入る泥をぺって吐き出した。これがアイドルがやることなんだろうかと本当に疑問に思う。もう眠くてだるくて体はぼろぼろだ。

「梨華ちゃん!旅館の部屋見えてきたよ。あともう少しだ。」

ひとみの声でやっと我に帰る。

「ごっちーん!!いるんだったら返事してー!あたし達ここにいるぜぃ!」

ひとみが、上に向かって大きな声を出した。その声は本当に元気いっぱいだった。やっぱり恋の力って無限大なんだろうと思う。ただ、その時あたしの体力は完全に尽きかけていた。むしろ助けて欲しいのはあたしの方だった。その時、崖から真希がひょこっと顔を出した。

「よしこ!あたしと駆け落ちする気がないんだったら、わざわざこんなとこ来なくていぃ!もう二人で帰ってよ!」

真希が叫んだ。

冗談じゃない。こんなとこから降りられるはずがない。ひとみは、しばらく真希と言い合っていたが、あたしはそんなことは無視して暗い崖を登りつづけた。やっとのことで崖の頂上に手が届く。

「馬鹿よしこ!!だからもう来なくていいって!帰れぇ!」

真希があたしの手を引き剥がすように持って言った。あたしを突き落とさんばかりの勢いだ。あたしは驚いて言った。

「ごっちん!あたしだよ!!!」

「あ。」

真希の表情が一瞬変わる。と同時に真希の全身の力がすっと抜けたようだった。あたしの体重が真希に一瞬にしてのしかかった。

「きゃぁぁぁ!」

あたし達は抱き合うようにして崖を転がり落ちてしまった。幸いそんな急な斜面ではなく、転がり落ちるのはどうにかすぐに止まった。

「ごっちん!!大丈夫?怪我してない?」

あたしは、思わず聞いた。

「いったー。何とか大丈夫。」

真希の声を聞いてあたしは安心した。だけど真希をかばうように滑り落ちたおかげで服もスカートもびりびりに破けてしまった。あぁもうクリーニングに出しても駄目だなぁ。こんなことならひとみみたいにラフな格好してくれば良かった・・・。あたしは破けたお気に入りのスカートを見てそう思った。

「二人とも大丈夫〜?」

上からひとみが崖をおりながらあっけらかんと聞いてきた。それからあたし達は、ひとみに助けを借りながら、再び這うように崖を登った。もう開き直りしかない。あたしは、自分の中にある力を全て登ることに費やした。崖を登りきる頃には海の向こうが薄っすらと明るくなっていた。夜明けの伊豆の海は、あたしの格好とは裏腹に透き通るように美しかった。

あたし達3人は、シャワーを浴びる力もなく泥だらけのまんま部屋に倒れこんだ。もう・・訳わかんないや。あたしは、何のために崖を登ったのかさえも分からなくなっていた・・・。

眩しい太陽の光を感じた。外から騒がしい足音と、何故かマネージャーの和田さんの謝る声が聞こえてきた。あたしが、一番最初に起き上がったけどまだ二人は眠ったままだった。そしてあたしは、部屋の様子に愕然とした。あたりが、畳中泥だらけの部屋になっていた。昨日は暗くてそんなこと全くお構いなしに、泥だらけのまんまであたし達は寝てしまっていたのだ。そしてあたしは、一瞬にして理解した。旅館の仲居さん→泥だらけの部屋を見る→あたし達の親に連絡→事務所に連絡→和田さんへ。情報の流れはこんな感じだろうか。

「ちょっと二人とも起きて!この部屋みてよ!」

あたしは、一応二人を起こした。起こしたところでこの事態はどうにもなるはずがない。和田さんが部屋に入ってきてあたし達3人は、正座だ。和田さんは、半笑いだった。多分、「あきれた」も通り越したんだろうと思う。

「全く何を言っていいのかも分からないよ。」

確かにそのとおりだと思う。高校生にもなる年齢のあたし達が、小学生が水たまりで遊び回ったみたいに泥だらけで、しかも並んで3人同じ格好で座っているのだ。付け加えてこの部屋の状態は、泥遊びをしていたと言われても弁解のしようもない。

「ですよね・・・。」

あたしは、思わずそう言ってしまった。やばい・・。こんなこと言ったら和田さんが噴火する。あたしは次の瞬間に恐怖した。

「あはははははははっ!!!」

突然の笑い声にびっくりした。真希がお腹を抱えて笑っていたのだ。

「何?ごっちん何笑ってんの?」

あたしは、少しむっとなって言った。

「梨華ちゃん。その顔何?泥かぶって爆発でもしたのぉ!?あははは。」

真希は、なおもお腹を抱えて笑って苦しそうだ。あとでひとみに聞いたらあたしは、ぼろぎれのような服をまとい、髪が逆立ったまま泥が固まっていて、浮浪者の方がまだましな格好だったらしい。ひとみも笑いをこらえるのが大変だったと後で言っていた。

「わぁー。伊豆の海ってやっぱきれい。」

帰りの車の中で真希一人が何だか明るくて楽しそうだった。それから当然和田さんの雷が落ちてあたしとひとみは、かなり落ち込んでいたというのに。特に大事なお気に入りのスカートを失ったあたしはダブルパンチだ。ただ、あたしとひとみの間に、肩の荷が降りたような、何だかほっとしたような空気が流れていたのは、多分真希の笑顔のおかげだと思う。

真希は、その後あたしに涙ひとつ見せなくなったし、弱音を吐くこともなくなった。ひとみも、前みたく真希に振り回されることなくしっかりと、真希のそばについていた。あたしにとって伊豆でのその記憶は、土の匂いがするのと同時に苦くて、苦しくて、切なくて、ため息がでるけど、とても大事な思い出になっていた。あたし達3人はいつも伊豆での記憶を共有できていたのだと思う。だからメンバーが、真希の卒業で泣いても不思議とあたしとひとみと真希は、涙が出てこなかったのだ。あたし達3人は、真希の卒業がどれだけ近づいても笑いあってた。たとえ最後のコンサートが終わってしまったとしても。

そしてあたしのとっても大事な友達でひとみの最愛の恋人のごっちんは、モーニング娘。を卒業した。

 

一ヵ月後

「ハロモニは、唯一よしこと同じ仕事だからね!大事にしないと!」

昨日電話でそう言っていた真希の意気込みはどこへやら。収録中に、真希はあたしの横のソファですやすや眠ってる。ひとみは、さっきから辻、加護コンビとずっと騒いでる。別の席で安倍さんと矢口さんが楽しそうにおしゃべりをしていた。スケジュールは分刻みなのにゆっくりと時間が流れているように感じた。

あたしは、芸能界に入ってこんな世界が待っているとは思ってもみなかった。考える暇もなくて競争の激しい世界。一時の気も抜けない。そんな世界があたしを待っているんだとずっと思ってた。そしてあたしはそういう世界で勝ち抜こうと思っていた。でも今は、そんなこと考えたこともない。この横で眠ってる少女に出会ってからは。

「もう、しょうがないなぁ。」

あたしは独り言のようにそう言うと、真希の上にあたしの上着をそっとかけた。真希の寝顔は、今までで一番穏やかでこの世で一番の至福を味わっているような眠りだった。

 



inserted by FC2 system